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声にできないこの叫びは一体誰に届くのだろうか

タイトル自体には大きな意味はない

ただ、日本語が通じない環境では時たま起こりうる。
伝えたくても通じない。
自分の勉強不足でしかないので、責めるのは自分自身だ。


たまにふと思うことがあって、自分は一体何者で何者になるのだろうか。

他人が決めることではないのだが、自分自身わからなくなることも多い。
特に、結局何がしたいのかという質問に対して、理想論を語ることはいとも簡単で、でもどこかで必ず詰まってしまう。

一体どれほどの人が自分のことを語れるのだろうか。
成功者のみが受け入れられるのではないかという考えが少しあって、特にスキルもなく、0スタートを始めた私は、私という存在を生まれさすために殻を割ろうとしている。

進路、実績、地位など日本で重視されるものは私自身の手で殺した。
だから23歳という人生の約4分の1の段階で第2の人生を産むことにした。

以前の私を知る人は、今の私をどう思うのだろうか。
もともと自由奔放ではあったが、こんな人生を歩んでいるなんて思ってもいない人が多い気がする。
まだまだ日本人からすると、海外は近そうで遠い存在な気がするから。

まぁほとんどの人は興味ないだろう。
みんな自分が何者なのかを確かめるでもなく、証明したいがために今の人生を動かしているのだから。

それでも人の目にも映らないほど小さな私を見つけて、手を差し伸べてくれる人がいるだけで幸せだ。
それだけで私という存在が証明されるのだから。

私が何者かって?
私は私。何者でもあって何者でもないというのが今の答え。
ただコーヒーを愛してしまって、追求したい冒険家とでも今は言っておこう。

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