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ありのままの自分と受け入れてくれる器

生きていく中で、人には他人に隠したいことが1つか2つは少なくともあるのではないかと思う。

そこで2つの選択肢が頭の中によぎるのではないかと思う。

ありのままの自分を理解してもらおう。恥ずかしがる必要はない。
それで離れる友達は、本当の私といたい訳ではないのだから。
今の環境を大事にしたい。これは私が独特だからそうなっているだけで、それは私の中で留めておこう。


実際のところ私は前者であって、それを受け入れてくれている人が多い。


私の場合、服装という面で当てはまる。

環境と機能性を重視しているからというのもあるが、一般的にみるとメンズのような服が多い気がする。

特に今はニュージーランドでは自然と触れ合うことと機能性しか考慮しておらず、トレッキング用の服しかない。(バイト用で何着かは揃えている)

日本より海外の方が服装は気にせずいけると思っていたが、実際のところそうでもない。

見る人はみるし、見ない人は見ない。


トレッキングの服装ってみんなが思ってるよりかなり優れていて、調節がしやすいのだ。

そして、吸湿速乾で汗をかいても、雨に濡れても風邪を引かないように考慮されている。

そんな抜群な効能がある。


まぁここは語りだしたら止まらないし、一旦ここで止めよう。


最初の話では、周りがどうであるかという視点で見ていたけれど、実際のところ自分がどうしたいのかもあると思う。

ありのままの自分でいる時と、ありのままを隠している時の自分。


どっちが楽しんでいるの?


この議題に対しては答えは簡単な気がする。

楽しくない自分でいるときは幸せなのだろうか。

そのときの自分って何者なのだろうか。


ありのままの自分をさらけ出して楽しんでいれば、周りもそれを認めてくれて、自然に受け入れてくれていることが多いと思う。

私の繕いに関してはそうだし、人生においてもそう。


声に出せば、これが本当の自分なのだと再認識できる。

そもそも周りを見て繕いを変えても、私は私なので変えることはできない。


この世界は広いし、きっと身近なところにも共感者は現れるし、仲間なんて指で数えれないくらいいるはず。

何を恐れようか。

人である限り、ありのままの自分で好きな自分を演じて幸せをつかもうよ。


もちろん、後者で幸せであればいうことは何もないのだけれど、どこかで自身に疑問を持つようなことがあれば変えてみよう。


未来の道を決めるのもきっと一緒だよ。

外れた道にいくことが怖いかい?
社会に叩かれるのが怖いかい?

そんなのテレビで自分を報道されるレベルでなければ大丈夫だから。

今一度心に手を当ててごらん。

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