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小さな当たり前が恐怖になったのはいつだろうか

元々の私の家の環境だったのかどうかはわからないけれど、いつからかできる子にならなければという意識がすごかった。

少しでも人より前に、そして完璧であれと。


そして、1度聞いたことは次にはできていないとダメ、当たり前なのではという考えに陥って、人に聞くということを恐れていた。

今思えば、子供の頃はなんでも疑問に思ったことは言葉で聞いていたのにどうしてそうなったのだろうか?


できなければと聞かないでいて、勝手な判断で行動をし、間違えると怒られる。

でもその怒らなかった理由はわからないことを聞かなかったこと。

その時に気付いたのだ。知らないことは悪いことではないのだということ。


海外に出てから知らなかったことが多かったものの1つが料理だ。

特にニュージーランドは色んな国の人がいるから、アレルギーや宗教、日本にない食べ物の名前やものが多くてわからないことだらけ。

おまけにスラングも多くて、?がいっぱいなのだ。

むしろもう聞かないと情報収集が間に合わないし、現地の人なら知っていることも多く、関連事項も一気に聞けるし早い。


今で働いて5ヶ月近くなるけれど、それでもわからないことは発生する。

自分は過去に戻っているなーと思うくらい疑問に思ったことは質問する。

まるで小さい子供みたいに。

でもそれがいかに大事なのかをひしひしと実感しているし、もしかしたら日本と考え方が違うからそうなるのかもしれない。


海外にいると、2回聞いたら失礼とかではなく、むしろわかるまで聞くのが礼儀だ。

日本では2回聞いたら失礼となるから聞けないのかもしれない。

文化の違いかどうかははっきりは言えないが、きちんと思ったことを伝えて聞き直すということも1つの努力であり、大事な行動の1つだと思った。

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