私という存在を意識することが私ではないのか
毎日が好きなコーヒーのことで頭がいっぱいで、1日1回はコーヒーのことを調べたりしている。
好きなことに夢中になれるのはすごくいいことで、そして今はそれに携わった仕事としてバリスタをしている。
ただ、ふと思ったことがある。
今の自分は本来のありのままの自分なのだろうか?
何かを好きになろうとして好きになって、そう思い込ませられたもう1人の自分なのではないかと思うことがある。
実際のところ、思ったことややりたいことはやってきているし、言葉に出して叶えてきている。
なのに、たまにくるこの空白に染められた穴は何なのだろうか?
今の語っている自分が本当のことを話している自分なのか、それともそう思い込んで作られたもう1人の自分なのだろうか。
人は2重人格を誰しもが持っているし、正直わからないというのが本音だ。
うまく言葉には表せないが、完全満足な人生はまだ歩めていない(というかこの歳で満足していてはいけない気もする)と思っている。
もしかしたら、満足を覚えたことがあまりないから満たされていないだけなのかもしれない。
将来への不安からくるもの、上へ目指したい自分、停滞の自分などが混在しているのも感じられるので、色んな部分からくる葛藤なのだろう。
ただ、私という存在を確立するとしたらどれなのだろうとなる。
これが、この想いが私だと今は言い切れない。
何が私を止めているのかもわからず、自分という存在に少し疑問を抱く。
いや、そもそもこの議題に対してこのような感情を抱く時点で私ではないのかもしれない。
では今の自分は何者なのだろう。
空白の期間とでも言おうか、新たな地図を描く考察中とでも言おうか、もう1度目を閉じて自分と対話をする必要がある。
そして、少しの光と感情が動くほうへ行くことができれば道が開けるのだろう。
今一度立ち止まって、振り返りながらも手探りで道を探してみる。
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