長承寺(奥州三十三観音第23番札所)
宮城県最北端、登米市中田地区にある第23番札所大白山長承寺(たいはくさんちょうしょうじ)は、弘仁元(810)年に慈覚大師円仁が奥州巡錫の際に草庵を結び、しばらく逗留して千手観音菩薩の座像を彫刻、お堂に安置したのがはじまりと伝わります。一山すべてが完成したのは、嘉祥2(849)年、円仁の後継である慈円律師の代で、その際に天台宗補陀山観音寺と号したそうです。
その後、280年間の詳細は不明ですが、長承元(1132)年に天台僧覚源法印が衰微した寺の再興に努め、補陀山長承寺と改め、崇徳天皇の勅願所となります。
以後、帰依する一族の盛衰とともに衰微を繰り返し、永禄2(1559)年に天台宗から曹洞宗に改宗、大白山長承寺と号します。元和元(1615)年に大慈寺(第14番札所)の末寺となり、隆盛し、現在に至るようです。
長承寺前にある鳥居をくぐると、山門があります。車は鳥居をくぐって山門の横に停めます。
山門をまっすぐ進むと本堂です。
観音堂は上の写真左奥に進むと観音堂への参道があります。
石段を登った先の観音堂は、お堂の扉が開けられ中を拝めるようになっていました。
観音堂は、三間(5.4m)四面のお堂で、建立についての記録はないものの、室町初期頃のものと伝わります。また、お堂の床下には11000以上の一石一経の小石があり、天明、天保の飢饉で亡くなった人々の供養の者とされています。
円仁作と伝わる御本尊は、色鮮やかでとても美しい観音様です。かつては60年に1度のみ御開帳されていたようですが、現在は常に参拝できるそうです。しかも観音様は写真撮影オッケーとのことでした。
観音堂左前にある子安観音堂には、徳一作の地蔵菩薩が安置され、庫裏には運慶作の韋駄天尊が安置されています。
かつて県の文化財保護委員が視察に訪れた際、長承寺は建物、仏像ともに国宝あるいは重要文化財級のものばかりと称賛されたといいます。
なお、御朱印は本堂横の庫裏にていただきます。
【ご詠歌】さしつみて いづみがそこの みずかがみ きよげにすすぐ のちのよのつみ
【宗派】曹洞宗
【本尊】千手観音菩薩(長承寺本尊…釈迦牟尼仏)
【住所】宮城県登米市中田町上沼字大泉門畑28
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