梅渓寺(奥州三十三観音第8番札所)
第8番札所である両峰山梅渓寺(りょうほうざんばいけいじ)は、宮城県石巻市にある牧山(まぎやま)にあり、梅渓寺の観音さまは「牧山観音」として、第7番札所の「富山観音」、第9番札所の「箟岳観音」とともに、奥州三観音に数えられます。
梅渓寺がある牧山は、かつては魔鬼山といい、蝦夷の大嶽丸一党の本拠地でした。坂上田村麻呂は蝦夷征討の際、この山に攻め入って一党を滅ぼし、そこに一宇を建立、陣中の守り本尊であった龍乗聖観世音菩薩を本尊として安置しました。
本尊を安置後、魔鬼山寺と号し、戦死者の供養と国家鎮護、五穀豊穣、海上安全を祈願したのが始まりと伝わります。延鎮僧都を開山として護持させたといわれ、「延鎮僧都魔鬼山寺旧跡」と刻んだ石碑が残っています。
その後、弘仁7(816)年に田村麻呂は、現在の梅渓寺の前身、梅谷寺と号する天台宗寺院を創設し、魔鬼山寺の別当寺とするとともに、魔鬼山を「牧山」に改めました(牧山の名の由来は諸説ありますが、ここでは梅渓寺の縁起に依っています)。
開山から約500年後、梅谷寺は廃寺の危機に瀕しますが、奥州曹洞宗総本山正法寺二世良印禅師の法弟無尽天全禅師が再興に努め、曹洞宗に改宗し、自ら中興開山となり、両峰山梅渓寺となりました。
梅渓寺は現在に至るまで台風や山火事などの数々の災難に見舞われてきましたが、その度に住職の尽力で復興を果たしてきました。
梅渓寺までは、富山観音同様細い山道を通っていきます。途中に延喜式内名神大社である零羊崎(ひつじさき)神社があるので、こちらも参拝することをおすすめします。
江戸時代には零羊崎神社が8番札所の観音堂とされていましたが、明治の神仏分離令の際、急遽本尊を梅渓寺へ遷座したそうです。
零羊崎神社の前を通り少し行くと梅渓寺に着きます。駐車場に車を停め本堂へ。
御朱印は庫裏で頂けます。庫裏の前に御朱印の入った箱が置いてあり、中に朱印代を入れて、御朱印を頂きます。
【ご詠歌】たのめただ みなとのふねに のりのみち だいじのみたね ここにまきやま
【宗派】曹洞宗
【本尊】聖観世音菩薩(梅渓寺…釈迦牟尼仏)
【住所】宮城県石巻市湊牧山8
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?