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宮床六地蔵巡り

宮城県中部に位置する大和町宮床地区。藩政時代には宮床伊達家(伊達政宗の孫・宗房を祖とする。)が治めた地域で、宮床伊達家の小城下町として栄えた地に、「宮床六地蔵」と呼ばれる石仏がある。

宮床伊達家は、後に仙台藩中興の名君と謳われる、仙台藩5代藩主伊達吉村(宮床伊達家の祖・宗房の子)を輩出しており、吉村ゆかりの石塔が大和町内に残されている。

今回の宮床六地蔵は、吉村の母・松子(片倉小十郎景長の長女)が建立した地蔵で、宮床地区内に6体(中野地蔵・鍛冶屋原延命地蔵・草ノ川地蔵・法性地蔵・水地蔵・永屋敷地蔵)が点在している。

中野地蔵

中野地蔵は地蔵堂前に駐車場がある。

堂内には3体の石仏が安置されている。中央にあるひと際大きな石仏が中野地蔵である。

中野地蔵は、像高約178㎝の座像で、松子(伊達吉村の母)が仙台藩の名石刻師(名前は不明)に依頼して彫らせたものだと伝わる。両手を前面膝上で重ね、宝珠を捧げている。

この地蔵が、当地に運ばれた際、中野の土橋を渡り終えた途端、土橋がどっと水中に落ちたという話が伝わっている。鎮座して以降は、宮床伊達家が、宵祭りから大祭まで大供養をしていたという。

中野地蔵の祭日は旧6月24日と8月24日で、子育ての神として有名で、6月23日の夜祭りは特に参拝者が多く、夜遅くまで賑わうとのこと。

中野地蔵とともに堂内に安置されている2体の石仏のうち、向かって右側にある石仏(地蔵?弘法大師?)のなんともいえないゆる〜いお顔も必見。

また、中野地蔵堂は、外にも多数の石碑・石仏がある。

特にこの如意輪観音像は、同町内の鶴ヶ峯八幡神社にある如意輪観音像と同じ製作者による者と推測される、非常にクオリティが高い。

【所在地】宮城県黒川郡大和町宮床久保田

【駐車場】あり

鍛冶屋原延命地蔵

中野地蔵からそれほど遠くない民家の側にひっそりあるのが、鍛冶屋原延命地蔵という石仏だ。

こちらも近隣の方が丁寧にお祀りされているようで、かなり重ね着されている。

入口はちょっとわかりづらいが、道路に面した場所に説明板があり、その奥の道を進む(民家の前を通る)と地蔵がある。

こちらにも中野地蔵堂と同様に、宮城県内でもかなり精緻な部類に入る(と個人的に思っている)石仏がある。

【所在地】宮城県黒川郡大和町宮床

【駐車場】なし

草ノ川地蔵

この草ノ川地蔵は、伊達吉村の肖像と伝わる。

残念ながら、顔は風化して判然としないものの、どことなく他の地蔵とは表情が異なるように見える。

【所在地】宮城県黒川郡大和町宮床山田下105

【駐車場】なし(チェーン着脱所があるのでそこに停めることができます。)

法性地蔵

七ツ森湖近くにある法性地蔵は、像高約96㎝の地蔵で、側にあるたくさんの馬頭観音碑が目を引く。

【所在地】宮城県黒川郡大和町宮床

【駐車場】なし

水地蔵

同じく七ツ森湖の近くにあるのが水地蔵。近くに湧き水があるのか、水の音が聞こえる。

石段を登った先には3つのお堂があり、手前から千手観音、田の神を祀るお社・水地蔵堂と並んでいる。


ここにも、非常にクオリティの高い石仏がある。それがこちらの千手観音坐像である。

石段を登ってすぐ目の前に現れたこの石仏に、思わず感嘆の声が出る。堂々とした佇まい、そして彫りの精緻さ、美しい。

永屋敷地蔵

永屋敷地蔵は、田んぼの真ん中にある。

お堂の扉は閉まっているが、施錠はされていないので自由に参拝できる。

こちらも中野地蔵と同様に坐像の地蔵である。お堂前に設置された看板に、由緒が記されていた。

永屋敷に来歴すらわからない草堂があった。丸木造りの本尊の仏を付近の子供たちが首に縄を結び付け、引き回して遊んでいた。見かねた堂主は仏体を清水で洗い清めて草堂に納めたところ、堂主に地蔵が乗り移り言葉を語った。村人たちは尊崇の念から心を同じくする者35人が集まり、石を彫刻して坐像三尺五寸余りの石仏を納めた。

永屋敷地蔵は松子(伊達吉村の母)が建立したものと伝わるため、上記の伝承とどのように関わっているかはよくわからない。

おわりに

宮床六地蔵を巡っていて、どの地蔵も、今も地元の方々から大切にされていることがひしひしと伝わってくる。

宮床六地蔵をはじめ、その他の石仏も吉村の時代に製作されたものなのか、今後のテーマとして色々と掘り下げてみたいと思う。

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