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「プチ試練に、萌え(燃ゆ)」

トークショーに登壇することが決まった長男の動揺っぷりがすごい。

誤解のないように、親(わたし)が無理にやらせようとしたのではなく、思いつきで「やってみる〜?」と振ったら「おお〜!」と頬を紅潮させたのは彼だ。
とりあえず長男は、「蒼ちゃんとミーティングしてくるわ」と、沖縄市のクランプコーヒーにいそいそと向かった。

帰宅後、蒼ちゃんと何を話し合ったの?と聞けば、「いや、チェス」だと。

それ以上わたしからは尋ねないし、長男からも何も言わない。
沈黙は金なり。

すでにこのやりとりから、始まっている感ありあり。
「挑戦」とは、やりたい6割:やりたくない4割くらいで成り立っているのだ。


トークショーのメインの鳥羽さんは、塾の講師である。
が、こちとら親子共々塾にはご縁がない。あ、嘘です。中学の頃、好きな男の子目当てに英語塾に通ったことがあるが、「毎日がハッピーディ!レッツイングリッシュ!」といった陽キャな塾の雰囲気に馴染めず、いけずなわたしはその時間、ひたすら自転車で街を徘徊し、それがバレて除籍になった。
高校に至っては、水色のギンガムチェックの手作り枕持参と、完膚なきまで学校をナメまくった十代を過ごしたせいか、未だ「義務教育」というものへの不信感は正直拭えない。

まったく身勝手な話ではあるが。

だがどうだろう、大人になってからは、「教育」とか「学び」とか聞くと、たちまちときめく。「きゃああ」となる。
いっときは国内のフリースクール見学に励み、「どんなところでどんな学びをみんなしているんだろう?」と興味津々、どこもほんとうにオリジナル且つ手探りで発見があった。

「きゃああ」のきっかけは、A.Sニイルだった。
フリースクールの先駆けとなった、スコットランド「サマーヒル」の初代校長である。
彼の子どもへの対応は神がかっており、なかでも大好きなエピソードが「ニワトリ泥棒」。
盗癖を持つ寄宿生がいかにして盗みをやめたか、という話しである。

ある真夜中、その子が寝ている宿舎部屋に入ったニイルは子どもをそっと起こし、「今から隣の民家に忍び込んでニワトリを盗もう」と持ちかける。(民家には事前に理由を話してある)
その子の目はたちまちキラッと光る。
ニイルと子ども、ふたりいっしょにその企みを達成させた夜から、その子はいっさいの盗みを働かなくなった。
(ニイルの翻訳本のほとんどは「きのくに子どもの村学園」の学園長、堀慎一郎さんが手がけている)

「この話しと同じ文脈だな」と思った文章を、鳥羽さんと、精神科医の尾久守侑氏と対談のなかに見つけた。

「いまでこそ、『それ(リストカット)でバランス取れているならいいんじゃない」と声を掛けますが、若い頃は「そんなことやるなよ」「お母さん、悲しむよ」と、通り一遍のことしか言えませんでした。二十年以上も前のことですが、いちばんダメなパターンですよね」(『学びがわからなくなったときに読む本』より「心の問題は自己治療がすべて」から一部抜粋)

(上記の切り抜きはいささか乱暴なので、気になった方は本編をぜひに!)


                ⚪︎


実は、我が子らを教科(国語算数)をまったく行わないタイプのフリースクールに通わせていることに不安がなかったわけではない。
子が簡単な漢字に躓いたりすると、「これくらいは知っておかないと世の中渡り歩けないよ」と宣告した一方で、「この言葉は呪いだな」とも感じていた。

だから、鳥羽さんの著書、「君は君の人生の主役になれ」のなかで、「社会に適応できないと生きていけない。そんなこと言う大人は嘘つきですよ」という一文を読んだとき、瞬時に自分の矮小さを悟った。

「そんな大人の言う『社会』なんて、その人が見たせまい世界の断片でしかなくて、彼らはいまあなたが見ている世界を見ていません」

ほんとにそうだな、と。
この一文の破壊力により、わたしの不安は霧散した。
「そうは言ってもあなたに責任とれるんですかっ?」なんて微塵も思わない。だって、ほんとのことだもの。

きっと、本の目次を見ただけで、ドキッとする方がおられるかも知れない。
「学校に支配されないためのメソッド」
「自分独特の世界を生きる」
「親からの逃走線を確保する」
「お金で回る世界」
「勉強という名のレジスタンス」

公学校とフリースクール。
「選択肢」と謳いながら、未だその在り方は対照的に見えるけれど、それは分断への罠である。
大人が子どもに接する態度、というものに規範などなく、人間の学びの普遍性、通底している本質は、どうしても心を通さなければ見えてこない。

さて、太陽10ハウス、土星4ハウスとオポジションの長男は、着々と虎視眈々と狼狽えている。
「あーーーーーっ!思ったことをすぐに言語化できない、語彙力!語彙力があーーーーーーーっ!」と、己に向き合っている。

わたしはそんな息子の姿を見て、「ファイティン!」と拳をきゅっと丸め、呟く。



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