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「お好み焼き」

先日のこと。
明石出身の友人のつくったお好み焼きがほんとに美味しかったので、俄然、作り方のコツを聞く。
「コツ?えー、てきとう」とか言いながら、そこにはちゃんとコツがあった。本人はきっとわからない、他人が見て、「お!」と気づくこと。

わたしはこれまで何度もお好み焼きを作ってきた。
しょうじて無精なので、本やネットは見ず、すなわち我流である。
しいて言えば、たまに行くローカルな雰囲気がほどよいお好み焼き屋さんの味をイメージしているのだが、あるときそこのご主人に「どうしてもここみたいなお好み焼きにはならないんです」と心のうちを吐露したところ、(正直、下心は「コツ」のゲットであるが)「うちに食べにくればいいでしょ!」と、それがいちばん良きことのように、おまけにとっても素敵な笑顔で言われたので、「それもそっか」と納得したまましばらく。

キャベツの時期、何度も作ってきたわたしのお好み焼きは可でもなく不可でもなかった。
キャベツの大量消費とか時短とかボールひとつでとか洗い物が少なくて済むとか、そういう点では可である。

しかし今回、友人のお好み焼きレシピ(聞き取り調査)で明らかになったのは、そもそもの「お好み焼きの材料配分」の概念が根底から違かったのだった。
生まれは福島、育ちは栃木の北関東者にはわからない黄金比、「コツ?えー、てきとう」ではない。

まず特筆すべきは玉子の量である。
「玉子はいちにちひとり1個」というプロパガンダを打破しない限り、到底辿り着けない個数だった。
「粉もん」なのに、粉は限りなく少なく、ほとんど玉子(&キャベツ)といってもいいくらい。
合わせて鰹節で濃い目とった出汁、塩、おろした山芋、キャベツ、青葱。
この組み合わせは同じだけど、だからとって偶然!と驚くことはなく、その普遍性に胸を撫で下ろす。

さあ焼こう。
そこで、またまたコツを発見してしまった。
それは、「揚げ玉」の存在である。「揚げ玉」って買うものなの?てか、揚げ玉ってむしろ駄菓子じゃん、と始めはいささかの抵抗が斜め上からあったけど、食べてみて納得。「揚げ玉」のさくさく感が、お好み焼きに軽さ(エアリー感)をもたらしていた。

あたためた鉄板に生地をのせ、生地の上に揚げ玉けっこうどっさり敷き詰める。その上に豚バラスライスを全体を覆うように並べ、しばらく焼く。
底面にきれいな焼き色がついたらひっくり返し、またじっくり焼く。

豚自体の脂で表面カリカリになったお好み焼きが君臨!
後はお好みで、花鰹、紅生姜、お好みソース、マヨネーズ、青海苔などなど。なくてはならないのは紅生姜で、うちではごく千切りにした生姜をさっと湯通ししてざるにあげ、粗熱が取れたら瓶に詰め、上から梅酢と米酢少々を注ぐ。
色は「紅」まではいかず、「桃」くらいの仕上がりになる。


で、気がついたのは、これまで「お好み焼き」というものは「パンケーキ」の仲間だろ、と無意識に捉えていたようで、それでは何かと方向性がずれてくるのだった。
否、「お好み焼き」は、「だし巻き玉子」の仲間である。

もう迷うことはない。


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