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「整うための手はず」

子に恩を感じている。

なまじ子どもの存在がなかったら、今頃は自家毒でどうにかなっていたやも知れん。これ、たまに思うことで、「ありがとうございます」案件である。

かつては、子どもなど想定の外の外の外で、年頃の娘さんが「子どもはふたりは欲しい」とか言うものなら、「ふーん」と聞き流しつつも内心は、こちとらそんなんいたら自由に旅行なんかできっこないし、そもそも仕事どうすんの?いやいや無理って、そんな態度だった。

とき同じして、謎にやってくる自己不信感の波にまま打ちひしがれては、己の心根のグロテスクさに狼狽して理由なく焦ったり。
とにかく、あのままだったら詰んでたなと思うのです。
具体的に法を犯してるとか人を騙しているとか誰かを虐めてるとか、そういうことではなく。
しいていえば、「やり直すにでもどこから手を付けていいのか皆目見当もつかない」って感覚。

もしかしたら皆、大なり小なりそういった感情に苛まれることはあるのかも知れない。漠然とした未来に対して。

で、ひょうたんから駒、みたいな赤ん坊の出現。
赤ん坊はわたしたちの暮らしを根底からひっくり返した。
圧倒的弱者に対して否が応でも「献身的」にならざるえない状況。
「献身」とは早起きであり、夜更かししないであり、よって深酒しないであり、おむつが濡れたら自分の用事はさて置き速やかに清潔なものに変えるであり、母乳のための栄養を考えた食事であり、机の角や階段や誤飲などのあまたの危険を避けること。

「あなただれ?」ってくらい、わたしは奔走しまくり、それもいちどでは足りないようで三度に渡って赤ん坊様にこの身を献上した。

そして赤ん坊という存在は、漠然とした自己不信から遠ざかるための装置と作用したのか、いつのまにか大きな「流れ」が出来ていた。

ホロスコープを探ると、「ああ、ここだな」という箇所が目に留まる。
土星蟹座7ハウス。蟹座のルーラーの月は乙女8ハウス。
「母という役割に伴う制限や試練をパートナーと共に築き、日々の雑務に献身的になりながら自分の受け取ったものを継承する」

え?そのまんまじゃーん。

わたしのメンターは赤ん坊だったけど、人の数だけそれはあって、勤勉さを求められる仕事や学問や宗教、運命的に出合う1冊の本、魂ゆさぶられる歌、拾っちゃった仔猫。
ほんとにいろいろなことが鍵となるのだと思う。

今、かつての赤ん坊はあっという間に大きくなって、長男は成人、長女は16歳、末っ子に関してはまだまだ添い寝(してくれる)だけど9歳となった。シュタイナーいわく「ルビコンを渡る、自我の目覚め」の9歳である。
三人とも馬の牧場(フリースクール)に通っているので、「どんなおとなになるのかなー」って興味深かったけど、「ふーん、こんなふうになるんだー」と、まだまだ観察は尽きない。

長男は水瓶座ということもあって、公教育を受けていないことになんの気後れもないようだけど(ニッチ上等!みたいな)、長女はようやくここ数年で吹っ切れたよう。
末っ子は気楽なもので、今日も近所の(ルビコン)川に海老獲りにお出かけ。
いっしょに海老獲りする海老友が、「海老を売って金にしてはどうか」とビジネスの提案をしたらしく、末っ子は「うちらは牧場に通っているから、馬のボロ(糞)とか虫とか土とかでメンエキがついてるからいいけど、ふつうはたぶんダメ」と言ったとか。笑


なにはともあれ、生きてるとその人を半ば強制的に軌道修正する出来事が起こる。困ったことでも厄介なことでも、整えるためにあらかじめ起こる手はず。





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