「失敗は成功の母」
「それにしても、塩120gってなかなかだなぁ〜」
まるで口笛でも吹くように、餃子(今日は月いちの水餃子営業である)を包み終えた長男が呟いた。
「え?何の塩が120gだって?」
嫌な予感しかしないわたしはその言葉の意味を問うも、
「餃子の皮。『今日はこの分量でこねて』っておかーさんが渡したメモにそう書いてあったでしょ?」
んなわけない。120gの塩っていったら相当量である。
てか、メモだメモメモ。
ゴミ箱から拾い上げたメモには確かにわたしの字で、
薄力粉1,5kg
強力粉1,5kg
水1650g
塩120g
沈。
正確には12gな!
普段から数字にめっぽう弱いわたしの凡ミスは、たとえば瓶詰めのラベルの賞味期限を2250年と書いたことがあるし、領収書の日付はお客さんに「今日は何日でしたっけ?」と毎度お尋ねするし、店のメニューのチーズケーキを70円と書いていたこともある。
気付くのは大抵お客さんで、概ね皆さん笑ってくださるので、「てへ!ネタ!」ってくらいで収まっていた。
でも、あくまでも笑えるのはそのミスが味に反映していないからであり、
否、いくら味に反映していないからといって、これまで野放図にしてきたツケが一気に回ってきた感。
塩蔵わかめレベルの塩辛さの生地で、300個あまりを包み終わったナウ。
こういうピンチな境地に置かれると、焦りが肚から湧き上がる体質の自分は、反射的にそれを発散するべく行動をとる。
「がああああああっっ!」と天を仰ぎ、頭を抱え、膝から崩れ落ちる。
「やっちゃったあーやっちゃった、ああーわたしはなんてバカなんだろうっ!もう、なんてこった!今日は餃子がありませーん!ないでーす!って餃子の日に餃子がないなんてありえない、てかそこの息子、なんでこの120gを鵜呑みにした?おかーさんが数字に弱いってことは知ってるでしょ?おかーさんはたまにこういうことする人間ってわかってるでしょ?」
語気強めに長男を槍玉に挙げるも「人のせいにしてはいけませーん」というアラーム音がピーピー鳴るので、「ごめん!おかーさんがすべて悪い。責任とります。包み直します」と謝罪モードに切り替える。
(ちなみに長男の言い分は、「随分と攻めるな」と思ったとか。ようするに、やりかね無いのだ)
そんなわたしのひとり芝居に痺れを切らした長女がピシャリと、「おかーさん、まずは茹でてみよう。それから対処しよう。ダメだったら包み直すまでのこと」
ぐすん。んだんだ。
鍋に湯を沸かし、おそるおそる3個の餃子を茹でた。
家族全員、すなわち10個の目玉に見つめられながら、湯のなかで揺蕩う餃子はなかなか茹で上がらない。
(西洋の諺:見つめる鍋は煮えない)が、放って置けば茹で上がり、
冷静な娘がまず味見。
「むむ、いける」
え?そんなバカな。かっぱらうようにわたしも続く。
「(はふはふ)あ、確かに」
無事とわかった瞬間、ピンと張っていた糸が一気に緩まったように笑いが込み上げた。
長男は、「おかーさん、切腹するんじゃないかって心配になった〜」と若干、青ざめた顔である。
「半田麺だって乾麺の状態ではすごく塩っぱいじゃん。そんな感じ?」
塩がグルテンに反応したせいかいつもよりコシがあるし、内側の肉汁に少し強めに塩を感じるけれど、タレを黒酢オンリーにすればむしろちょうどよい。
あの瞬間は白目を剥いたけど、結果オーライ、発見ですらある。つくづく粉物はほんとうに奥深い。
余った生地で、ピロピロのきしめんを作ってみたけど旨かった。