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日々の気付きや学びなど、お久しブリ〜フなエトセトラ♡

ソロ活ってソロが当たり前の人にとってはおそらく息をするくらいあまりにも普通のことすぎて、世の中でわざわざクローズアップされたりタグが付くのおもしろいね!例えば、息をするから息活、とか、生きてるから生き活、とか言うのと同じ感じ、、、ははは!

そんなことをふと思った晩秋の真っ昼間、お久しブリ〜フ、Kicoです。仕事の待ち合わせまで少し時間があるので書きます。

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オードリーの若林が言ってました。

『井森美幸、出川哲郎、狩野英孝とかの、視野が良い意味で狭くなってる人って、ずっと目の前のことに夢中になれるからリアクション芸なんかがものすごくおもしろい、真似できない。相方の春日も、ずっと同じテンションでテレビに出てる、これからもやりたいらしい。山ちゃん(山里亮太)なんかは今でも10代の頃の怨みがエネルギーになってる、、、すごいわ。俺は飽きちゃう、、、もう、その事実はどうしようもない。』

共感した。若林、好きだ♡わたしは変化進化していく理知的なタイプの人にワクワクするので、そういう人、アテンション強めに持ち続けちゃうなやっぱり。いや、変化進化してゆく中身のあるなら感覚に全振りしてるような、自分とはまた違うタイプの人も楽しい〜!

映画なんかでもそうだけど、結末を予測出来たり、もう知っているようなものにアテンションや興味を持ち続けられない・つまらないと感じるタイプなので、それが対人間であっても反映されるんじゃなかろうか。

たとえばそれが相手がパートナーでも家族でも、誰でも反映される。つまらない・飽きた、と感じることなんかは自然な感覚だもんね、悪じゃない。単なるサイン。むしろそれ(中身・事実)を無視して形の継続だけにこだわってると例えば〝仮面夫婦〟みたくなるんだろう。サインに気付けるから、じゃあどうする?とやるべきこともやれるわけで。

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ネガティブさ、怒り・悲しみ・劣等感などをガソリンにして創作するタイプのアーティストいますね、ちなみに若林もそうだったらしい。

その一連=若い頃の〝世の中のすべてに対する恨みとか怒り(笑)〟を山里亮太と武道館かなんかの目標にしていた大舞台の上でネタとして出しきったら、なんだかすっかりやりきった感があり、燃え尽き症候群になってしまって停滞した時の話、おもしろかった。その後その状態・モチベーションの無さからはブレイクスルーしたとのこと。

わたしも子供の頃〜20代中頃くらいまでかな?そういう系統のガソリンで絵や詩を描いたり動画や音楽作っていたことを思い出す。

起死概念などある精神障害の人が絵を描いて、アートブリュットの展覧会なんかで認められていくうち満たされ、もう絵を描かなくても良くなることがある、そんな話を聞いたことがあるけど、何かネガティブな感情や渇きをガソリンにしていた人は、満たされたら創作する必要性やモチベーションがなくなる場合は、、、大いにあるだろうな。

(山里亮太なんかは未だに恨みつらみをガソリンにしている、ということは、むしろ、創作・仕事のために、そのネガティブな糧を捨てられない、とも言えるかもしれない。引っ張る・こすり倒す、といえばそうだけど、新しいガソリンを見つけられないとか、ネクストステージへのブレイクスルー出来ない、そういう不安や現実がむしろkeep on ネガティヴでいさせる現象、論理的には理解出来ますね。)

わたしは今も創作するのは好きだが、昔、描かずにはいられなかった飢えたような欠乏感による動機はないし、プライオリティは落ちた(昔は毎日描いていたので)、詩に至っては書きたい欲求がほぼ皆無。具体的にインスピレーションを得て触発されたり、自然な欲求が湧いたら描いてる。

その代わり新たに創作的なチャレンジをあれやこれ、現在進行形含めてやってきてると思いますね♫基本的にクリエイティブなことが好き、というか、わざわざ手間暇かけて掘り下げたり考え抜いたり試行錯誤しなくていいような単純な娯楽に飽きやすい・続けられないだけかもしれない。

自分の価値観や欲求をしっかり日々に反映させて生きられていること、言語化やコミュニケーションが機能していること、いい人間関係・環境を努力して選んで築いてきたこと、、、それらによって得られた安定や満足の持続は、確かにわたしを欠乏方面で飢えさせない。

でもあの頃と変わらずハングリーではいたい〜♡安定したマインド且つハングリーさを保つには、やっぱり色んなこと失敗したりチャレンジしたりするのがよろしいのでしょうね!

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Netflix、シュワルツネッガーに続いてスタローンのドキュメンタリーも哲学的でよかった。

やはり人には愛とロールモデルが必要。

最低限、自分で自分を愛することだったり、欲して創造する希望や理想で自分を満たし、導くことは出来る(そこにユーモアや立てた中指も効いてくるのよ♡)。

だけどやっぱり他者、特に親からの無償の愛を得たり、的確な良い導きを得ることは、子という生き物が根源的に求めるところなのだろうと思った。というかシュワルツネッガーもスタローンも、彼らの父親の酷さ、、、おい父親、、、そしてその存在や振る舞いを許す母親どうした、、、!なんだかんだ親との関係性や承認への執着・期待を引き摺ったまま老年期まで生きてきた人達の典型例でもあった。

スタローンなんかは〝どうしても変えられないの!もはやそれがガソリンなの!〟と、その欠乏感を真正面から認めて堂々と創作の原動力にしてるところはチャーミングでしたね。

結局そこら辺を解決してないから私生活はどえらいことになったり、今は〝大きな家でひとり残されてる〟と言ってたから、そういう生き方が幸せなのかどうかは分からない!ただ、納得はしていそう。〝打ちのめされた現状にただ呑みこまれて嘆いて生きるなんて俺はゴメンだ!〟と笑い飛ばしている姿はまさにロッキー、〝ハングリーな男〟ね〜。

しかし、大きく欠けた人は遠くへ飛べるチャンスを得ているとも言えるを最確信。そしてその為にはただならぬ努力や、運が欠かせないこともね。結局は運に左右されるってのが人間か〜。どんなに努力してもどうしようもない救いようもない不幸にまみれて一切報われず死ぬ人がいることも、特に難なく波なくそれなり幸せ感じて終わる人もいる、この世界。

さてさて、スタローンのように年齢を重ねても捨てたり、方向転換したり、チャレンジ出来る心の若い人でありたい。気付きや学びをくれたすべての存在がロールモデルになりますな♫

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それじゃ仕事行ってきます、よい一日を、みなさん!

Kico.

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