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!知的遊戯!

何を観ても聴いても、話していても仕事していても、遊んでいても人間関係でも、ただ生きてるだけで毎日の中に引っかかるもの・考えさせられるものが溢れているから疑問や問いが生まれ続けるし、調べたり学んだり言語化するのが楽しい。

そう、大人になって自分に今、リアルに必要だからする勉強・学びって純粋に楽しいですよねー!!

子供の頃、何故やらされているのかどういう風に役立つのかも知らされないままひたすら暗記させられたような勉強と比べてみても血となり肉となるダイレクトさや実感が全然違うものです。これぞ学習!って感じ。

義務教育で習得したことは大人になってから自分の好奇心や興味を深掘りしていく時、はたまた問題課題に直面して乗り越えたい時に自分から必要なことを探して学んで考えて活用してゆくために必要となる基礎学力・スキルの習得だったわけです。わたしもその恩恵は感じている。(カリキュラムが一人一人の能力や性質の為に作られているわけではないし無駄も多い、その内容は大いに再編されるべきだとは思いますが!)

だけどその一方で、自分に必要なことを勉強する・学ぶってことが大人になった途端、何故か日常的じゃなくなる人ってとても多いというのが驚きです。

むしろ大人になってからが自由でリアルな自分のクエスト(探求、冒険の旅)/本番のはじまり、なのに、自分から勉強していくこと無しにどうやって自分で自分をレベルアップさせてゆけるのか、弱くて無知なままだと武器もスキルも増えないんだから、スライムにだってやられてしまいかねない笑!

さらには、何のためにあんなに長いこと高校や大学などに至るまで勉強したんだ??

これを運動部で考えてみたら、6.7歳で入部して20代なんかまで毎日通って死ぬほど基礎練やらされたのに、特に理由は無く試合に出るのを自ら辞退しているようなもん笑笑!!(こう記しときながら高3なんか多分年間の3分の1くらいサボったと思いますけどね学校合わない・嫌いだったので/基礎練サボるくせに本番はグイグイ出ていくタイプの女)

逆に、

自然に学ぶことのループ/知的好奇心や興味が湧いて自分から探求しに行く習慣、を持っている人はとてもラッキーだと思う。

単純に思考力や理解力が磨かれゆくってのもあるし、自己解決力がつけば自信や自己信頼感もつく、何事にも自分なり対処出来ればメンタルも安定しやすいし余裕を作り出すのも上手くなる。

何よりは半永久的に、どういうことだろう?何故?知りたいな!なんて自然なワクワク感・楽しみや意欲を孕んだ若いマインドでいられるから。

無知の知ーーー自分はまだ何も知らない、、、だから自分から知ろうとする、学ぼうとする、分かった気にならず、、、これは心が若く自らの無知を喜んでいるからこそ、じゃないだろうか。

プライドが高かったり常識で出来たような人は、、、無知の知が無いような人はつまり、、、心が歳をとって固くなっているのかもしれないなあ〜。

人間、外側の老化・劣化より内側のそれの方が深刻なダメージのような気がするわたしです。

もともとの外側(外見)の造りや老化・劣化とは別に、確実に反映されますからね。表情や雰囲気など後追いで造形されてゆくものが確実にある。わたしはどうせなら良い感じの後追いカスタムしたいな〜!

さてさて。

探求したいほどの興味が湧く、とは何かというと自分が何かしら過去に立てていたアンテナにそれが反応したってことでしょう。つまり自分から好奇心のアンテナを立てない限りは興味が湧きようがない。反応もできない。

夢がなければチャンスを掴みようがない理論と同じ。

例えば今、『自分は自分のことを何も理解していなさすぎた!!』と打ちひしがれた人がいるとする。必死だ。必要性を強く真摯に感じまくっている人ほど必死だ。必死、というのはここでは自分に対してとてつもなく真剣・尋常じゃなく真摯、みたいなイメージ。

そんなわけで自己理解をすることに生きていく上での根源的な必要性を感じられた人は、そこにまつわることすべてにアンテナが立ってゆく。無意識でも欲している状態。

だから何気なくラジオから流れてきた心理学の知識とか、本屋で見かけた瞑想や哲学の本などが具体的に引っかかり始める。観た映画の中で自分に向き合っている人がいれば自分の体験や考え方と比較することが始まったり、自己診断ツールを知るとやってみようとワクワクしたり。

そういう風に一つずつ積み重ねて探求してゆくと自分の知識や情報・視点が増えて理解が深まってゆく。深まっているのかどうかは厳密には分からないので、まあ理解するための材料や見方を増やし続けているってことかな。

入り口と窓一つしかなかった原始的な家に、通気口や換気扇、色んな種類の窓など付いて充実してゆく感じ。前より機能が増えて使いやすく住みやすく、メンテもしやすい。見える風景も方角も増える。高い窓も低い窓もあればまったく違うところが見渡せるようになって前より沢山のことに気付くことが出来るし。人も同じね

自分がより豊かにベターになる感覚、、、それは自分で自分のために努力したってことで嬉しいし、満足・充実を得られてハッピー!ということなんだろう。

しかも何かを知ればその先に知らないことが芋づる式に存在することを知るわけです。つまり気付きや学びの扉ははじめから無限に開かれている。好奇心や探求心が尽きなければ死ぬまで飽きることがないわけで、、、これはしあわせなことだと思う。

まさに生きてるだけで丸儲け、がデフォルトになっているわけだから、前述したように、こういう人はとてもラッキーだ、ということ。

で、こういう探求の時間って主に一人で過ごす時に発生するわけですね。自分オリジナルの知的好奇心を探求して掘り下げるわけですから。

逆に言えばこのような機会や時間を自分のために取れない人っていうのは丸儲け可能なお恵み(笑)をみすみす逃しているわけで、もったいない!と思うけど、まあ自分の人生は自分のもの、限られたエネルギーや時間を何に対してどんな風に使おうが自由なのだ!

さて〜

こんな日々の中でわたしに欠かせないのが煩悩飯店!

友人達と去年の夏から始めたポッドキャストです。おお、そろそろもう1年が経つくらいじゃなかろうか?

これは仲間の2人と知的好奇心を探求して掘り下げることが出来るという、ゆる〜いけど夢中になれる、飽くことなき

知的遊戯

なんですよ。

それぞれがオープンマインドで知的好奇心があり、色んな経験や学び・情報や知識そしてユーモアを携えてシェアしようという余裕や行動力がそれぞれにあるからこそ実現しているわけで、そんなタイプの人間自体が稀なのに、気が合いふざけ合い信頼し合える相性での✖️3人、、、奇跡じゃんね( ◠‿◠ )( ◠‿◠ )( ◠‿◠ )という巡り合わせ!

番組ではその時々で感じている違和感や疑問、話したいお題などを掲げ、ゆる〜く哲学。大いに脱線しながら、あれやこれやと語り合っております。

昨日の収録は性について!

オープンな場所で性についての知識・情報や価値観なんかを具体的に話す機会もなかなか無いので、今回は割と広範囲に話したんですが、自分の価値観や性との向き合い方を考えてみるのはいかがでしょう!

そんなわけで夏休みに長らく帰国していた2人もついにアメリカに帰国してしまったのでね、、、コロナを挟んで数年ぶりに再会、ああ楽しかった、楽しかったよ、、、号泣!!

でもまたいつものように毎週日曜日に楽しく知的遊戯していきます、ありがたいことです。

たいてい決まって日本時間の昼過ぎ(カリフォルニアの夜)から収録し、そのあとも6-8時間ほど語り続けるという狂気。なんなら平日も長い時は12時間くらいそれぞれ仕事したり移動したり家事したり子育てしながら怒涛のチャット論議してんです。

大半はしょーもないアホな話してるんですが、そういう中に本質的な問いや答えを見い出すことしばしばなので、わたし達って本当に

ふざけきった禅の僧侶たち

みたいなもんなのかも笑?

無意味なことや単純に楽しいだけのこと(仕事やお金や他者からの賞賛じゃないこと)に際限なく情熱を注ぐことが楽しくてたまらない、みたいな性癖みたいな趣味嗜好なんでしょうね笑。

純粋な子供のような無邪気さが、たしかにあるかもしれない。

そこにかける時間やエネルギーの負担より、楽勝でメリット(楽しみや喜び)が勝つ。

付き合いたてのカップルがどれだけ一緒にいても飽きないのとある意味同じ?それも情熱があるからだし、好きでたまらないことをやっているときに全然疲れないし時間が経つのが超速いのも同じだもん。

一人ずつがバージョンアップされ続けていながら、コンスタントにシェア・コミュニケーションするから化学変化を起こし合い、良い影響を与え合うというループ、、、尊い、と感じます。

生きてゆくのに大切なものはそんなにない。
でも友達は大切ですよ、、、完全に大切!!

それぞれ異なる魅力あふれる友人達に見合うだけの私でいたいわ♡って無理なく自然に自分のマインドも前向きになりますしね〜。

さて。

車内で書き殴っていましたら夜明けの日差しに目ぇ潰されそうなってきましたので今日はここまで。

今週もenjoyしてこーーーgood day!

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