私は聴覚障害者
別に今更こんなこと書く必要は無いかな?と思いつつ。
コロナでずーっとマスクを強いられて来た日本🇯🇵そして、2023年3月13日でノーマスク宣言。
やっと口が読める読唇できると喜んでたのも束の間、日本人マスク大好きなんですね。
全然みんなマスク。
いいんですけどね。
やっぱり引き続き、生きづらさをめっちゃ感じるわけですわ。
私は生まれつきの聴覚障害者で7.か8歳で補聴器と出会うまで、聞こえないから話せない子どもだったんです。そして口蓋裂だから声は出せるから、「あーあーうーうー」ぐらいしか話せなかったし空気が抜けるから話しててもおかしな感じになっておりました。
そして、一応大人や周りの真似事で早口で意味のない言葉で感じ出して話すことはあったかもしれない。
小学校に入ってから補聴器を付けたもんだから保育園から小学校に上がる時に「聾学校」に進む予定だったのを父がこの子は普通学級でも行けます!と頑張ったようです。後から聞いた話だと就学前健診の知能テストでIQが高かったらしいです。
保育園での生活はもう鼻から抜ける声と何言ってるかみなさんわからないもんだから、2つ下の弟が「お姉ちゃんはこう言ってる」と通訳をしていたらしい。そう意味では障害を持っていると兄弟児はありがたい存在だと思う。
そして特性としては多動という落ち着きのなさ。出かければ必ず迷子になるという衝動性のある子どもで大人からみたらかなり手のかかる子どもだったと思う。
補聴器つけて微かながら聞こえるようになって10歳で口蓋裂の手術を受けてからというもの突然生まれ変わったようにリーダシップを発揮したようです。多分生まれ変わったんじゃなく、根っからの目立ちたがり屋でお祭り女だったのかと推測しますw
で自分、聴覚障害者なんだけど、周りからは聴覚障害者ということがかなりわかりづらい。あえて補聴器見せたりするくらいしか。
いちいち「聞こえないのでマスク外してください」とか「おおきな声でお願いします」と言わなきゃいけないけど面倒になってしまっております。その面倒な状態がずーっと続いてる。
でもね言っていかなきゃ行かないなぁ
と声をあげていくしがないなぁと
世の中なんでも言わなきゃわからない。
空気読めとか察しろとか期待はもう出来ないのだ。
補聴器見せて歩いてると手話で話しかけられたり、ありがたいよとっても、出来ない自分がとてももどかしいけどね。
(今流行りですか?ドラマのおかげ?)
そんなんでオチがあるわけではないけど、
そろそろさ