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1918年(大正7年)2月10日 祖父16歳の日記
二月十日 日曜日 雨後晴
1 五時に起き、歴史を稽古した。
また午前には物理、午後は漢文を自習す。
また実業の日本に、
新渡戸博士の思想の現わし方と言うのに、同じ思想にても言い表す言語の高低によって高低がある。例えば、
二つなき月を川風いかにして
浪のうねうね蒔きちらすらん
を、都々逸体にするとすこぶる下卑たるものである。
二つな月◯◯川風と◯したばの
浪のうねうね蒔きちらす
のようになる。
故に僕の憂うる所は高き思想美を教訓は漢語を用いるだけに俗を去って、知識階級に局限さるることである。
故に現世を◯わんとするものは、主として現在の用語を現在の比喩とを用いて始めてその仕務を完了し得べきであると思う」と、なるほどであると思った。
2 今日思っていたことか完全ではないが、だいたい出来たから愉快であった。