『左利きの日』なので左利きの話
今日・8月13日は、国際的な『左利きの日』らしい。
なんで『左利き』の話でもしよう。
前の記事で少し触れましたが↓
自分自身は父方の祖父母が左利きの隔世遺伝
以前の台風と片頭痛の記事でも書いたが、両親右利きだが、父方の祖父母が左利き。
父は右利きであるが、よく左と右を間違える『左右盲』が若干あるのはそのせいじゃないかと思っている。(自分の両親が左利きだからね。)※左右盲を知らない人はリンク先ご参照
なお、私は左右盲ではない。
ちなみに父は、自分の母(私の祖母)が左利きなのを、母と結婚し母が指摘して初めて知ったそうだ。(祖父が左利きなのは知っていたようであるが。)どれだけ他人に興味がない人間なのか。と思う次第。
言語が苦手で視空間認知など非言語が優位
言語が苦手な人が多いとされる左利きであるが、それに関わる自身の主な特徴(特に幼少〜学生時代は顕著)を少し挙げておく。
活字が苦手
外国語が苦手
言語化が苦手(言語にするのが遅い)
言語の入出力より非言語の入出力のが圧倒的に得意
ディスレクシアで活字を読むのが困難&英語が非常に苦手
上の「すごい左利き」の著者の加藤先生も『音読障害』があったと仰っている。
自分自身も、今から考えると軽度のディスレクシアだったんだろうと思われるが、活字を読むのが非常に困難でまともに1冊の本を読破できることがありませんでした。20代半ばまでそんな感じで、19歳ごろ黒澤明監督の『羅生門』に感銘を受け、原作である芥川龍之介の『藪の中』を読もうと芥川全集を買いましたが、1ページ目で断念しました。リベンジしたのは20代終盤だったと思います。ニーチェのリベンジも同時期くらい。
外国語(英語)は特に圧倒的に苦手
英語は特に非常に苦手で、、受験直前の11月頃のとある模試で英語の偏差値10点代を叩き出しました!数学との差は50以上。現役時代というか高3まで勉強してなかったので浪人時代は勉強すればするほど成績は上がっていきましたが、英語だけはほとんど上がらず。。。
数年前会社でTOEICを始めて受けた時も270点でした。。。それで最初「集中と選択」で苦手なことは諦めると諦めたのですが、ずっとそれで諦めて来たことがあったので頑張って多少はできるようになりました。(今は700で止まってます。。。)その際に、言語能力と非言語能力はトレードオフで言語能力を高めると非言語能力が下がるんじゃないかと思ったが、そもそもそれもその地平線に登ってみないとわからないのでやろうと決意したのでした。
漢字は好き
なお、漢字は大好きで習う前でもなるべく使いたがった。なぜだったのか後から考えてみると、漢字は特に難しい漢字ほど図形として認識していたのであろうと思うが、一般的なディスレクシアとは違う。
左利き用の道具たち
ちょっとここで話を変えて左利き用ツールについて
左利きということを自負して生きたきたので、敢えてなるべく左利き用を使うようにしてきた。
ハサミとカッターナイフ
ハサミは一番有名かな?右利き用を左で使うのはかなり大変なので、家では基本左利き用。右利き用の鋏は右で使う。特に上の世代の人なんかは、右利き用の鋏を左で器用に使う人がいるけど、あれは無理。ってか、それなら左利き用用意するか、右利き用使う。
包丁とキッチンはさみ
包丁は、出刃包丁など片刃の包丁は左利き用は必須。両刃でも大概刃付けが半々でなく右用になっていたり柄の部分が右用になってたりするので左利き用を使っていたのだが、左利き用は値段が高く種類も少ないので、完全に刃付けが50:50と公式で表している藤次郎を最近使っている。(出刃は一部錆びているがまあしょうがない。)
以下藤次郎の公式の「刃の向きと聞き手」>「両刃」の包丁の説明の中の箇所
左ギター
弦楽器なんか、弦をおさせる手の方が力いるし細かい動きがいるから、実は逆のがいいじゃないか?と思ったりするが、左利きと言うマイノリティを自負して生てきたので敢えて左を使ってきた。
元オアシスのノエルギャラガーは、左利きだが左ギターにしっくりこなくて右ギターを使ったとある。
自分の場合、もしかしたらピアノを少々やっていたのがあって、右の指のが細かい動きができるから左ギターがしっくりきたんじゃないかと思ったりする。
マウス
マウスも左で使う。但し、設定は右のまま。
左で使うのは、最初に本格的に使ったのがMacで当時ワンボタンだったこと、設定が右なのは、WindowsのPCをちゃんと使ったのが仕事とかだったので、マウスは左だが右設定のままで使う。設定を変えると、例えば隣の人が使う場合や情シスの人が来たPCの状態を見に来た場合にマウスが使えなくなってしまうことと、逆に他人のPCのマウスが使えなくなるからである。
Windows用は右利き用にデザインされたのではなく、左右対称のを選ぶ。Macに関しては最近はもうトラックパッドのみで事足りるのでマウスを使う機会がなくなった。と言うかトラックパッドが秀逸な上に左利きにも関係がない。
なお、この最初に使ったマウスがMacのワンボタンマウスというのは自分にとっては非常に重要なことであった。
ジョブズ時代のApple の真のユニバーサルデザイン
テクノロジーに興味がない私にとってMacとの出会いは縁である。
ワンボタンマウスだったMac
私が最初にMacを使った時は、いわゆるワンボタンのみのマウス。左利きが左利きと言うマイノリティであると言うことを意識せずに使えたのである。(勿論その代わりにショートカットキーが右手になり、若干面倒とかくらいはある。)最近は口先ダイバーシティとともに上っ面ユニバーサルデザインがよくある。心のない口先ダイバーシティとともに、上っ面のなんとなくユニバーサルであるとか、ただ小手先の格好だけのシンプルと言うより貧相なデザインとかあるが、ジョブズがいた時代のApple製品には真のユニバーサルデザインがあった。単なるシンプルではない、考え抜かれて上での不要なものを削りに削った真にシンプルでスマート、そしてエレガントであったのである。
ジョブズは両利きだったと言われている
なの、上の知恵袋で答えている人の根拠元のリンク先ではこう言っている。
一応日本語訳をのっけておく。
数学と音楽は同じ
まあ、上のコンピュータ技術者と音楽と左利きの話してたが、確かに私の知っている抜きん出たエンジニア(但し人間性には難あり。)は、左利きだった。今どこかでCTOしている。「コマンド打っているとコンピュータと対話しているって感じするじゃないですか?」と言っていたし、「全てが二進数に変換される」と言っていた。そしてエレクトーンとドラムとギターをやっていたな。
まあ、よく音楽と数学は同じというからね。ってか、ピタゴラスより前の時代から学問としての音楽は数学の一つな訳だし。コンピュータサイエンスなんか、応用数学的で数学の延長線上みたいなものであるからセットであることに不思議さは感じない。
数学も、目的としての数学は感性じゃね?と思ってしまうが、、、
ってか、私は専門物理で数学は苦手なので、知らんけど。ただ、物理とロックは同じだ。(そもそも多少ピアノやってたのに、私は音楽理論がさっぱりわからん。)
なお、大学時代の物理系の学生は確かに左利きが多かったのが印象にあったので覚えている。ただ、ニュートンやアインシュタインは左利きだったとされているが、それ以外の物理学者の情報は全くないのでわからん。
ちなみに、ジョブズを左利きとしている記事も多い↓
ビルゲイツも左利きだけど
それを言い出したら(上のリンクにもあるが)ビルゲイツも左利きだが、そう言うのに興味がなかったんだろう。完全な技術者っぽいん感じだし。
もし私が最初に本格的に使うPCがWindowsであったら、右でマウスを使わざるを得なかったかと思う。
iPhoneXで破れる
ジョブズ亡き後、iPhoneXを使っていて違和感を感じた。それが崩れたのである。Apple崩壊の音が聞こえてくる。
物理
直感の物理の前に、「英語」「活字」「数学」という3つの言語の壁
私が学生時代、物理学を学ぶ前に、3つの言語の高い壁に阻まれたと言っている。
数学は空間を記述する言語みたいなものだから、言語の中では一番簡単であるが。
まあ、古典物理(一般相対論まで)は直感のみでなんとか行けるんだが、量子物理学になった瞬間に直感的でなくなるので大変なのである。。。
物理において一番難しいのは言語化
中学の時は、それ以外の学校の成績は全くよくなかったが、理科特に物理だけは誰よりも圧倒的に理解していた。ある日オール5取るような秀才くんたちが「どうやってわかるんだ?」と聞くから、「そこに書いてある通りじゃないか?」的に図を示して説明したが全く理解してくれなかった。中学の物理なんて問題に答えが書いてあってそのままなのに、言語で伝えようとすると非常に難しい。(そもそも中高生の物理なんて微積を使ってないまやかしなのになぜに理解できたのか?と後になって思うが、力学や電磁気なんかは直感のままだからだろうか。)
左利きとHSPの関係
以前の記事にも少し載せたが、
これを読んですごく腑に落ち、納得した。
よくわかる。ネガティブな感情は完全に外部からである。特に自身体が強い方ではなく、非常に痛みに弱いので、他人の痛みを本人以上に痛がっているのではないかと思ってしまう。実際に会社では、完全なハラとかで心身弱っている人を見ると居た堪れなくなる。、何度かタオル投げて最終的にはドクターストップとなった一人は、そこまで本人を見ているこっちがきつかったのである。。。ってか、よくそこまで放置するな。と言う感じであるが、周りの人間は見て見ぬフリしているのかそれとも本当に何も感じないのか??今でもわからない。HSPの話で境界線が脆いとはよく言う話であるが、他人の感情が自分の感情になるのである。これがパートナーだとより顕著になる。本人が一番辛い場面で、本人以上に泣いてしまって逆に心配される有様になるのである。。。だから一人で人と距離を置いて生きている。
大人になって自分のことで泣くことなんてあり得ないのだが、歳を重ねると涙もろくなる。若い頃は、「はあ?」と思ったが、それは、周りの悲しみの経験の分だけ涙が出るんだなとわかった。
顔が隠れていることに対する違和感、警戒感
コロナ禍で、マスクを嫌う欧米人の理由の一つとして言われた「マスクを嫌う欧米人とサングラスを嫌う東アジア人」の文脈。主に顔のどこを見て表情を読み解くかである。
ノンバーバル(非言語)コミュニケーション優位の為、マスクもサングラスも勿論眉毛が隠れている人も生理的に苦手で無意識に警戒する部分がある。
相手が喋っている言語と表情などのノンバーバルの間で何か違和感を感じた時に一気に気になってセンサーが働いてしまう。。世の中知らなきゃいいことのが多いのに嫌である。。。
最後に
いやー、長くなってしまった。言語にまとめるのは難しい。中途半端だが、また今度。
ちょっと最後に
上の「書く時の手をいうのではなく・・」というの当たり前だろう。書く手は最近は少なくなったが矯正されることが多々ある。そもそも書く手だけ見て利き手を判断するマジョリティの右利きはそれ以外にどれだけ左右の違いが意識していないのか!と言いたくなる次第である。別に全ての改札に左利き用を設置しろなどと言っていない。左利きが左利きであるということを尊重してくれれば、別に多少の不自由を受け入れて生活するのである。