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おみくじのルーツを探しに:エピソード11

こんにちは、吉むすびです。
前回は元三大師みくじが戸隠明神にて発見されたところでした。

その後元三大師みくじみくじが多くの寺社で使われるようになりました。

今回は江戸時代のおみくじ事情の話です。

七、江戸時代の初詣

 「これからおみくじはどうなるの?」良介と海はミクに聞いた。

 「じゃあ、もう少し後の江戸時代を見てみましょう」

  三人は「吉むすび」を握りしめた。「オン・アロリキャ・ソワカ」

 「ここは江戸中期の神社の境内のお正月。」

 「あれっ。人が少なくて、何かお正月らしくないな」良介は違和感を感じた。

 「そう、初詣は元々恵方参りと言って、その年の恵方の神社にお参りするものなのよ。今のように初詣に人がたくさん参拝するようになったのは、明治時代に電車ができてからなの」ミクは説明した。

 「じゃあ、おみくじはいつどこで引かれるの?」良介は聞いた。

 「おみくじの起源はこの前天海上人が元三大師から夢で言われたけど、人々を救うのだから特にお正月でなくてもいいのよ」ミクは答えた。

 「でもおみくじはあるの?」海は尋ねた。

 「あるわよ、ほらあそこにおみくじの筒があるでしょ。あれを振ってみて」ミクは言いました。

 カシャッ、カシャッ、筒を良介と海は振った。

 「僕は五十五番。」「私は十番だわ。でもおみくじの紙はないの?」

 「あそこに言って聞いてみて」

 「すみません。おみくじ五十五番を引いたのですが」「私は十番。」

 「五十五番と十番じゃな、えっと。どれどれその係りの者は一冊の本を二人に渡した。」

 それは「元三大師みくじ本」と呼ばれるもので、その当時はまだ一枚ずつのおみくじはあまり作られていなかった。ただ、この元三大師みくじ本は多く出回っていて、他に大雑書という暦の本も多く作られていて、その中に元三大師みくじ解説も掲載されていることもあった。ちなみに1枚ずつのおみくじが作られるようになったのは大正時代のようです。

 「ここに運勢が書いてあるから読みなされ」

 「えー。自分で読むの?何か日本語みたいだけど、すごく難しそうだな。読むのを手伝ってもらえますか?」良介は神社の人にお願いした。

 「五十五番は(雲散じ、月重ねて明らかに/天書、至誠を得たり/然く阻滞(そたい)多しといえども/花は発(ひら)き、再び重ねて栄えん。)
つまり、『今までの憂いは散じ、願望は成就するだろう』ということじゃ。』

十番は『旧用多く破れを成し 新更して始めて財を見る 改めて雲外の望を求むれば 枯木春に遇うて開く』これは、『今までの状態で良しとせず、心を新たにして物事にとりかかれば吉。そうすれば運も開ける。』ということじゃな」こう説明してもらった。

 二人とも良いということは分かったが、二人にはまだ少し難しい内容だった。

 「この頃おみくじは、お家の一大事の時など本当に神様にお願いしたいときに引いたものだったけど、それがだんだんと一般庶民にも広がっていったの」ミクは説明した。

今現代のおみくじを良介と海は思い出した。「そうか今はおみくじはすごく簡単に引けて、それもすぐ結ぶ人が多いな。そういう人はおみくじに書かれていることはあまり気にしない人なんだな」

良介は寺社の境内に結ばれているたくさんのおみくじを思い出した。「そうね。おみくじは神仏からそれぞれの個人への特別なメッセージなのにね」海はひいたおみくじがすぐ結ばれるのをもったいなく思った。

 「ところでおみくじを結ぶということはどうやって始まったの?」良介は聞いた。

 「じゃあまた、少し後の時代に行くわよ」ミクは二人に言い、三人は「吉むすび」を握りしめ呪文を、唱えた。「オン・アロリキャ・ソワカ」

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いかがでしたか。この場面は自分の推理によるところもありますが、もし違っていたらご勘弁ください。

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