屋上菜園-その後
※文中に虫の写真などがございます。苦手な方は十分ご注意ください。
1、『収穫の儀』まで
今年の梅雨は一段と長かった。
6月初旬に畑へ苗を植えてからというもの、雨が降らない日に劇場職員がホースで水撒きをし、たまに苗の様子を見るといった程度で、畑の作物たちは基本的に「雑草と共に植え、育つのを待つ」という、一種「可愛い子には旅をさせよ」的思考のもと育てられた。
そうして迎えた梅雨明け、そして唐突に降り注ぐ強烈な日光。
わたしたちの知らないところですっかりたくましくなっていた作物たちは、一気にその日差しを浴びて猛スピードで成長を遂げていった。
そんななか、「吉祥寺からっぽの劇場祭」のラストプログラム『収穫の儀』にて、作物の収穫後に盆踊りをすることになった。
とはいえ、真夏の日光の下、猛スピードで成長を遂げたのは作物だけでなく、雑草もまた同じく凄まじい勢いで伸びていた、植物なので当然のことである。
劇場祭が始まった7月末には、もはや畑の中に分け入って水やりをすることはもちろん、植えた苗を視認することすら困難になり出した。
これは、盆踊りどころではない。
そうして、わたし(吉祥寺シアター職員A)を中心に、畑の草刈りが行われることになった。
とはいえ日々プログラムが盛りだくさんの劇場祭、とにかく隙間の時間を見つけては大急ぎで長袖長ズボンに着替え、長靴を履き、軍手をはめて鎌を持つ。
朝のまだ少し涼しい時間に1度目の草刈り、陽の高い時間帯はパソコンで事務作業、陽が傾いたら2度目の草刈り、そんな日もあった。
草刈りはいくつかのルールを定めて行った。
①草を分け入らずとも収穫が可能な視認性の良い箇所(通称:映えエリア)と、迷路のような細道を雑草で作りその中で収穫をする箇所(通称:宝探しエリア)をつくり、収穫時に様々な楽しみ方ができるようにする。
②スニーカー程度でも安全に盆踊りができるような草の刈りこみを行う。
③収穫と盆踊りに必要な箇所以外は必要以上に草を刈らない。
特に①と③は共通している部分があり、こちらからしてみれば作物の収穫をするための畑、という認識であっても、そこで育った雑草もまた畑の一部であり、こちらの都合で必要以上に手を付けるべきではない、との判断を、勝手にした。
はじめから雑草を全て刈り取り、肥料を潤沢に与えて育てた畑ならまだしも、作物と共に雑草もまた、豊かに育ったのである。
さらに、その雑草の中では、バッタや蜘蛛、そのほか名前も知らない虫たちも生活をしており、ここまで積み重ねられてきた生態系ーーというと大袈裟かもしれないがーーへ、あまり大きな影響を与えたくなかった、という気持ちもあった。
実際、草刈りのために畑へ入るたび、そこかしこでバッタが飛び跳ね、手で多少草をゆすっても彼らは微動だにしなかった。
そうして、『収穫の儀』当日、自らが整えた畑で熟れたトマトや青々とした大葉が収穫され、輪になってみんなが踊っているのを、わたしは事務所のパソコンからひとり、映像で観た。
日々草を刈る中で、どこにどんなトマトがあって、ここのバジルは良く茂っていて・・・と畑の野菜たちの様子をすっかり覚えてしまっていた自分が収穫に参加するのは、なんだかあまりよくない気がして、映像の中で楽しそうにしている人たちを画面越しに眺めている方がずっとずっとしあわせに思えた。
2、畑のその後
劇場祭が終わった翌日、わたしひとりの『収穫の儀』を執り行った。
というのも、上記の写真にうつっている野菜たちはごく一部で、実際はかごやザルに乗りきらないほどの豊作だったのである。
特に紫蘇やバジルなんかは「茂る」という言葉がふさわしいほどに育ち、虫食いはあれども十分な量が収穫できた。
とはいえ、畑の各所を見て回ると、まだまだ発育途中のトマトなどがそこかしこで見受けられた。
劇場祭の会期が終わっても、わたしたちの生活が続くのと同じように、畑の発育も続く。これから食べごろを迎えるだろう作物たちをいきなり放り出すのは、なんだかすこし違う気がした。
「秋まで畑の世話をしたいと思います」
ほかの劇場職員へそう伝えて、わたしは再び長靴を履き、雨の日と休みの日以外は毎日畑の世話をし続けることになった。
毎日、自分で刈りこんだ雑草の細道を歩き、水やりをして、各エリアの発育状況を観察する。
トマトは熟れすぎると割れてしまうので、そうなる前のベストなタイミングを見計らって収穫する。
紫蘇はとにかく水さえ絶やさなければ何度でも葉をつけた。
少しして、白い百合の花が咲いた。
気持ちよくグッと花びらを太陽に向けて広げ、ほんのわずかな期間で散った。
バジルの幹が徐々に水を吸わなくなってきたり、トマトの茎が折れて葉末まで養分が行き渡らなくなってきたりと、夏の陰りと共に畑も少しずつ終わりが見え始めてきたころ。
今度はそこかしこで虫たちが家を構えだした。
大葉、紫蘇の裏にはちいさな幼虫が繭を張るようになり、毎日葉の裏を確認しては繭のついた葉を取り除いたーーもちろん幼虫は殺さない。
そして、ああ、ここはやっぱり自然の中なのだな、と実感させられるくらい大きなスケールの蜘蛛が出るようになった。
畑の中の刈り込んだ道を塞ぐようにして、最初は1ヵ所、最終的には目視できるだけで4ヵ所、とても大きな蜘蛛の巣が完成した。
水やり後に見に行くと、雫がついてとても美しい。
しかも糸の弾力が素晴らしく、多少触ったくらいでは何ともないし、なによりあまりに大きいので不注意で絡みついてしまうなんてこともない。
こんなに蜘蛛の巣を褒めておいて今更だが、わたしは虫が苦手だ。
そんなわたしでさえ思わず声を上げて顔を寄せてしまうほどだったのだから、ずいぶんと畑に飼いならされたものである。
かくして、虫たちが各所で住まいを築きだした9月の末、最後のトマトの収穫を行った。
ほかのものは、ついに栄養がいきわたらなくなり、枝の先で小さく萎れてしまった。
劇場祭が終わってから毎日ひとりで畑にあがっては、様々な作物の様子を見て、触ってきたけれど、わたし以外にもここで生きるものはたくさんいて、それらがいるからこそ豊饒な「畑」という場がつくられている。
『収穫の儀』までは、正直なところどれだけ美味しそうで綺麗な作物になるかばかりを心配している節があった。
しかし、この畑が、人間のエゴイズムだけで「育て育て」とシビアなまなざしを送る場ではないことはもう十分にわかったので、そろそろこの活動をおしまいにすることにした。
最後に収穫した、(左上から)ミント、大葉、バジル、紫蘇。
あまりの量に、選り分けるのに3時間近くかかった。
最後に畑へ上がった日、あんなにしっかりと刈り込んだ雑草は、
もう盆踊りなんてできない背丈まで、しっかりと伸びていた。
吉祥寺シアター 職員A