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霊的不健康な日本人

こんばんは。吉次きちじです。
今日は、あまり聞きなれない言葉「霊的不健康」について書いてみます。
もう長いこと健康ブームは続いており、身体の健康に気を遣うひとは激増中ですが、身体以外の健康に配慮している人ってチョー少ない…
ってことで、今からご説明申し上げまする!



健康の定義って知ってる?


1998年に世界保健機構、いわゆるWHO が「健康の定義」を改定しましょーか?って議論してた事実って知ってますか?
まーこれは議論だけで終わっちまって、改定には至らなかったのですがとっても意味ある議論だったと思うのよ。

どんな議論だったか?というと…

今世界共通で定義されている「人間の健康」って、3つなの

  • 身体的に健康であること

  • 社会的に健康であること

  • 精神的に健康であること

この3つに「スピリチュアル的に健康である」という項目を入れるか?入れないか?で議論になったわけ。
スゴイでしょ?

つまり、身体も心も健康であり、人間社会の中で差別されず排除されず、社会の一員として生活している社会的健康状態!
この3つが揃って、初めて「私健康でーす」と宣言することができます!
という定義なんよね。

でも、ちょっとこの3つじゃ足りないんじゃないのー?と言い出す人々がいたわけ。
その人々が足りない!と感じたのが「スピリチュアル的な健康観」なんだよね。

この「スピリチュアル」って言葉が厄介で…
これを「宗教的」と捉えるのか?「存在論的」に理解するのか?イヤイヤ「死生観」なのではないか…?
各国の共通理解を得ることができずに、この論議は可決に至らずお流れになった…。

まー、国際的な健康定義にアレコレ申すつもりはないのですが、今の日本人の現状を見ていると「霊的不健康感」を実感しちまうのですよね…
「霊的不健康」

これをご説明申し上げますね


己の存在の希薄化


新橋あたりのガード下で呑んでる男性サラリーマン100名にききました!
「あなたはナニモノですか?」
さて?どんな答えが返ってくるだろうか?

  • ただのサラリーマンですよ。それも平!ヒラだよ!

  • 私?…役立たずのオヤジですよ

  • ナニモノ?何やってんだろーね…オレ…

  • 家に帰りたくないオトーサンだよ!

  • なんだその質問は‼そーゆーお前はナニモノなんだ!

いや、私の想像なんだけどね…
リアルな感じしませんか?

団地の公園で子供遊ばせているママ100名にききました!
「あなたは自分の人生を歩いていますか?」

  • …?私の人生ですか?歩いてると思いますけど…違いますか?

  • 今は子供のための人生です。当然でしょ!

  • そんな質問に意味あるんですか?失礼じゃないですか!

  • 忙しすぎてそんなこと考える余裕なんてありませんよ

  • どうなんでしょうねー?なりゆきでこーなってるって感じかなぁ…

これまた、妄想なんだけど…リアルでしょ?

「あなたはナニモノですか?」
「あなたは自分の人生を歩いていますか?」
確かに即答できるような質問ではないけれど…でもこれ、人生における最重要項目だよね。

あっ、さっきのオジサンたちやママたちが駄目だって言ってるんじゃないよ。
そーではなくて、ちょっと不健康じゃない?って思うわけよ。
どちらさんも、お酒飲めたり太陽の下で遊んだりして「身体的」に健康で、ちゃんと社会人やってるんだから「社会的」に健康で、他人とコミュニケーションとれるし、笑ってるし、「精神的」にも健康だよね。

でもさ…
存在が希薄なんだよねー。
「生きている実感」が乏しいというか、エネルギーが足りないというか、目が輝いていないというか…。
「自信の欠如」といっても良いかもしれない。

この状態をわたしは「霊的不健康」だと思うわけよ。


己の存在を人間社会に限定している日本人


社会制度が整備されて、医療が発達して、生活環境が衛生的になって、経済発展を遂げて、日本は「生きていく困難」を克服したよね。
先人たちの敗戦後の苦労と努力の成果を、私たちは充分に受け取っている。

それは言葉にできないほど、素晴らしいしありがたい!

「生きる」ことが容易になって、物質的にはこれ以上ないほど豊かで快適だ!
でも…それと引き換えみたいにして、私たちはとーっても大事なものを失いつつあるんじゃないかな。
「今、生きている」という実感が薄れつつあると思わない?
「生かされている」という感覚を忘れてしまったと思わない?

あっ、誤解しないでね。
「いのちを大切にしましょー」とか「神様に感謝しましょー」とかいう道徳の話をしたいんじゃないのね。

そーではなくて、
己の存在を「人間社会以外に位置付ける視点」をなくしちまってるよー!という警鐘を鳴らしたいのですよ…。

自分の存在を「人間社会」に位置付けるって、具体的だからわかりやすのよ。
年収〇〇だとか、
資格があるとかないとか、
子供の成績がよいとか悪いとか、
管理職だとか、平社員だとか…
でもこれ、ハッキリ言ってモノすごく視座が低い…。

でもさ、いのちの存在って人間社会限定じゃないでしょ?
私たちは人間社会に存在するだけじゃなくて、宇宙に存在しているんだよ 。
この広大な宇宙に存在する「自分」っていうものを考えてみたことある?

何故かこの宇宙にいま「いのち」として存在している自分!
この視点が凹っと抜け落ちていることが、現代日本人の不幸なんだよ。
これが日本人の「生きるエネルギー不足」を引き起こしているわけ。
ね?「霊的不健康」だと思わない?

昔の日本人はもっと視座が高かったんだよ。
神々の視点を持っていたからね。
だから自信と誇りがあったの。

あなたは「霊的不健康状態」になっていませんか?
もし「私ヤバイかもー」と思ったならば、一度神々の視点で、先祖の目線で「自分」を見つめてみてくださいね。

きっと何か気づきがある。
「己が存在していることの摩訶不思議」に驚いたときに、霊的健康を取り戻せると思いまする…。


最後までお読みいただきありがとうございました!

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