春分の日ー抗えない太陽信仰ー
こんにちは。橘吉次です。
令和5年3月21日 は春分です。
昼と夜の長さが同じになるこの日は、日本人の心に太古から続く壮大で深淵な「太陽信仰」が現れる。
そいつを記事にまとめてみたよー!
春分の頃のお彼岸…これ仏教行事だと思ってませんか?
春分の日の前後1週間程度をお彼岸という。
「暑さ寒さも彼岸まで…」という言葉があるように、冬に戻ったような寒い日がなくなり、本格的な春の盛りがやってくるのがお彼岸の頃。
この時期は昼と夜の長さがほぼ一緒となる。
だから、
昼=この世=此岸
夜=あの世=彼岸
と見立てて、あの世とこの世が最も近づく時だと言われている。
だから、ご先祖様を供養しようねーというのが彼岸の行事だ。
春分の日の太陽は、真東から昇って真西に沈む。
東は、薬師如来のおわす浄瑠璃浄土
西は、阿弥陀如来のおわす極楽浄土
この東と西の真ん中に、僕らが生きる穢土がある。
うひょー、ぼくらは穢れた国土で生きているのかーっ!
と早合点しないでね。
これは平安後期以降に広まった「浄土の教え」限定の話である。
平安末期から戦国時代は、世の中が乱れて庶民が真っ当に生きることがとっても難しかった。
だから、
「死んでこの穢土を離れて、清らかな浄土に行きたい!」
と多くの人がのぞんだ。
厭離穢土欣求浄土
徳川家康が掲げた旗に記されたこの言葉は有名だよね。
家康はこの浄土の教えをベースにして、天下泰平を目指したのだ。
家康は太平の世を実現したが、
「死んだら浄土に往きたいよー」という人々の願いはなくならず…
それに家康が寺請制度を設けたから、ホトンドの日本人は死んだら「浄土」に往くと信じた。
死んだら西の浄土へ往くぞー!
いやいや、浄土は東にもあるぞ?
うーん、悩ましい…
宗派や教典によって、浄土はいろいろあるからねー。
お彼岸は、東に往ったのか?西に往ったのか?確かめられないご先祖様を供養するには一番だ!
だって、太陽は真東から昇って真西に沈む
だから、みーんなお墓参りをするんだねー。
(半年前の秋分の日の記事もご参考までに…)
でもね…
仏教が入って来るずーっと前から、日本には春分の日に対する神聖な信仰があった。
むしろこっちがベース。
それが太陽信仰。
日本人が黎明期から持ち続けていた「太陽信仰」と「仏の教え」が混ざり合ったのが、お彼岸なんだよねー。
それをご説明申し上げよー!
僕らは本当の夜を知らない
現代日本の夜は明るい。
よほどの山奥にでも行かないかぎり、明かり一つない暗闇の夜を過ごすことはない。
でも、太古。
ローソクもない時代を生きた僕らのご先祖様は、月明かりもない、星も見えない漆黒の夜を幾夜も過ごしたはずである。
目の前にかざす己の手さえ見えない漆黒の闇。
敵や獣に襲われる恐怖と寒さを耐えて迎えた朝、闇を切り裂いて昇る太陽はどれほど神々しく見えたであろうか…。
神である。
我々を照らし、我々を暖め、我々を生かす神が、
地平の彼方から、山の頂から、海の向こうから昇る!
ありがてーっ!今日も生きられるぞーっ!
この五百万年前の原初の信仰を、日本人は21世紀の今日でも持ち続けている。
それが太陽神、天照大神を崇める神道だ。
実は、太陽神は天照大神様おひとりではない(らしい)。
(あっ、ホントは神様はひと柱と数えます)
過去、歴史の中で、それぞれの地域で別の太陽神が存在していた(らしい)のだが、ヤマト王権が国家をつくってから天照大神に統一された(らしい)のだ。
まあ、少なくとも1万6000千年前には、人類が日本国土で暮らしていた証拠はあるのだから、ヤマト王権の成立までのながーい間に、そりゃいろんな神様が存在していただろうと思う。
でも太陽はひとつだ。
物語は色々バリエーションがあるけれど、太陽はひとつなのだよ。
本当の漆黒の夜を知らない僕らは、神話を「ホントなの?」「噓でしょ?」と論議したりするけれど、
そんなことよりも、たった一つの太陽を「ありがてー」と崇めた、その感覚・感性にもっと注目しほうがいいのじゃないかしら?
北緯35度21分の東西線
春分の日
太陽は真東に昇り、真西に沈む
これが北緯35度21分
このラインは、東の富士山と西の出雲大社を真っ直ぐに結ぶ。
東=富士山
西=出雲
その真ん中に、ヤマト王権が国をつくった。
更にそのヤマト朝廷は、
生駒山から昇る春分の日の太陽が、沈む西に向かって四天王寺を建立した。
春分の日の太陽は、四天王寺の門の真ん中を通って海に沈む。
(建立当初は海でしたー)
古代の遺跡や聖地が、直線状に並んでいるラインを「レインライン」というらしい。
この「レインライン」は日本のいたるところに存在する。
でも、直線に意味があるのではないだろう。
太陽や月、天にあるものと大地を結んだ線
目にはみえない大いなる宇宙のエネルギーを神と崇め、地球もまた神の波動に溢れた惑星だから、その大地に印をつけたのだ。
天津神と国津神の構図である。
この神々に抱かれて人は生き、そして死ぬ。
生まれて死んでを繰り返してきた、怖ろしいほど古い人類の記憶が、今の私たちにも残っている。
昼(生)と夜(死)がバランスをとる日
春分と秋分の日は聖なる一日
そして、太陽が最も活発である日=夏至
そして、太陽が最も弱まる日=冬至
この4つは人類にとって、とてもとても大切な日なのだ。
生命記憶にインプットされた、抗えない信仰。
これが「太陽信仰」なんだよね。
お彼岸の思想は、仏教という一つの宗教の行事ではない。
そんな小さなものではないのですよ。
だから3月21日は、壮大な人類のいのちの流れに思いをはせる、そんな一日を過ごしてほしいなあ…。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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