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優良な客でいたい

見た目が好き。顔が好き。な、アイドルもいるし、アーティストもいるし、芸人もいるし、タレントも俳優もいる。

ものすごく言葉は悪いが、芸能人って「商品」って見方ができるので、見た目も大切になってくるのは必然だと思っていて。
だから、見た目の良さで客がつくのは、ごく自然な話になる。

しかしながら、
「見た目より芸を見ろ」「顔じゃなくて歌を聴け」とかね。
顔ファンを毛嫌いする層って、一定数いる。
しかも、この層はえらく言葉がキツイこともあれば、顔ファンを下に見ているのがありありと感じとれることもある。
芸能人側にもいたりいなかったりする。
バンド界隈には多い、は確かな偏見。

顔ファンのなかに、物理的に危険な人間がいることもわかってる。
直接贈り物を渡そうとしたり、あらゆる現場で入り待ち・出待ちなど。とにかく接触を図ろうとしたり。
応援だと言い張っている行動が、相手には迷惑だということに気づかないような人たち。
もうシンプルなストーカー行為である。

この類の危険人物は、顔ファンに限らず、どの層にもいるんだけど。

外から見たときに、10人のうち1人でも危険人物がいれば、他の9人も危険人物として見られることも理解してる。
だから一部の人に心底嫌われるんだよな。全体が。

マジの顔ファンって、本当にいつまでも「顔だけ」が好きなんだろうか。だとしたら、むちゃくちゃ偏食。
好きなものしか食べない。逆に凄い。

その大好きな「顔」を見るために、いろんな姿を追いかけて見てたら、顔以外の要素も目に入るはずだけど、実際どうなんだろう。

私が「顔ファン」してる芸能人も、顔きっかけで作品を見たり、グッズを買ったりして、言葉選びとか共演者との接し方とか、顔以外も魅力に溢れてる人だって知ることが多い。
なので「顔ファン」と言ってはいるが、一番好きなところが「顔」であって、決して「顔だけ」が好きなわけではない。

とはいえ、外からしたら、そんな差はあってないようなものだろう。
危なそうなら止めてもらったほうがいいんだけど、
好きの在り方は、万人に許容されたい。

何事も、頭ごなしと行き過ぎはNG。
良い影響があるのを、聞いたことも目撃したこともない。

ものにより「顔で売ってないんだよ」的な話もあるけど、
顔出して売ってるんだから、顔も商品価値の一部だろ。と常々思っている。
舞台立つときに服装や髪型を気にするのは、見た目が大切なことを知ってるからでしょ?

嫌だったら顔出すな。とは絶対に言わないけど、
じゃぁ、顔以上の魅力を知ってもらわないといけないよね?だし、
顔に魅力を感じてる存在を否定するメリットある?もあるし、
顔で間口広めにとれるんだったら良くない?もある。

アイドルでも芸人でも俳優でも、ファンがつく仕事してるなら、
ファンの分母を増やせるだけ増やして、自分の仕事魅せつけて、どんどんふるいに掛けたらいいと思ってる。

結局、ファンを語って、文句言うとか謎アドバイスするとか、批判するとか、そういうことする人たちも一定数いるけど、それをしない人たちのほうが実数は多いから。
それに、批判めいた言動ばかりする人は、そもそもファンにカウントしないほうがいい。

「あなたのためを思って言ってる」的なことは、受け入れたところで効果はほぼないし、どちらかと言うと、発言した人間のためにしかならない。
自分の思い通りにしたい気持ちを、相手のためだと対象をすり替えてるに過ぎない。

無言のファンというか。
好きな人のすべてを一旦受け入れる人。
そういう人たちは、どんなふるいに掛けられても、自分の活動限界を認識してるから、行き過ぎないし、滅多にいなくもならない。
さすがに違うな。と感じたら、それこそ無言でいなくなるけど。

ふるいに掛けられまくって残ったファンが上質かどうかは定かではないが、少なくとも、敵ではない。はず。

頭で「芸能人は商品」と書いて、それは変わらないんだけど、
決して「物」ではないから、意思を持ってファンを選んでほしい。

表舞台に立つって、物凄い神経すり減らすだろうし、私みたいな、ただの会社員にはわからない厳しい世界にいると思う。
そういう厳しさとかツラさを超えるくらい、仕事を誇れるようになってほしいし、ファンに愛されてる自信を持って生きてほしい。

こう、なんだかんだ言っても、どうしても「顔ファン」の自覚には後ろめたさがついてくる。
顔以外の魅力を語れないなら、ファンであるとも声を上げ難い。
でも、とにかく顔が良いんだ…と昂ることがある。
この口外しにくいジレンマ。

気にし過ぎだと、勝手に好きでいればいいじゃないかと、そう言われればそれまでだけど、それって顔ファン否定派にも当てはまる。

いわゆる古参と分類される人たちにある、親心のような自負や自尊心も理解できる。
好きな芸能人が舞台に登場したときに、声を上げてしまう人たちの気持ちもわかる。
そんな登場時の黄色めな歓声に、眉をひそめる感覚も、むちゃくちゃわかる。

自分とは違う愛し方を誰かがしてると、自分には出来ないことをやっているように映り、それが羨ましく思えて「みんなやってないんだからやらないで」的な抑圧心が発生する。ごく自然なこと。

実際、ただの迷惑行為であることもあるので、それはちゃんと抑圧しないといけない。
感情だけでなく理屈を持って。

好きの在り方も愛し方も、そりゃぁ自由なんだけど、自由を履き違えちゃいけないよね。って話で、相手あっての「ファン」だったりするわけだから。

その相手に、迷惑がられたり、辞めてくれ。と言われたら、それに従うしかない。本当は。
辞めてくれ。に対して、自由を行使するのは誤りで、それは自由を履き違えてる。

「お客様は神様」と言って良いのは、提供する演者側であって、受け取り手の客が言って良いものではない。

客が勝手に神様ぶるなよ。

私は、自分の大好きな人たちを、ただただ大好きでいることに幸せを感じているので、提供されたものを、正面から7割程度を額面通りに受け取って、3割を疑心して考察する。

愛情の過信は身を滅ぼす要因なので、何事も適度に。用法容量を守って愛する。

提示されたルールに従い、言動を慎み、ルールのなかで最大限に楽しみ、笑い、泣き。
マイナス面で記憶に残らないよう自分を律し、ライブなどの現場は、終わったら早々に帰るよう努める。

「顔ファン」だろうとなかろうと、他人の好きに干渉するのは、私的にはナンセンスであり、良客ではない。
あと、自分を好きになった経緯や好きの在り方にケチつける芸能人は、生業とする芸の魅力が足りてないって思ってほしい。

どのジャンルの好きに対しても、
私は、最良の客でいたい。

好きな人に「良い人」だと思われたいのは、万国共通だろ。

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