twitterが恋しくなるとき[自己中エッセイ]
先週はオイラの自堕落が原因で4つほど仕事が集中してしまい、note記事を連日アップするのが難しかった。
時間や心に余裕がないと、世の中の話題に触れる内容にできず、自分が心のなかでいだいている雑念、雑感を活字にして吐き出すことしかできなくなる。
もちろん、それをnoteで解消したいという気持ちも持っているが、まだ重なった仕事も4つのうち完全に手が離れたのは1つだけという体たらく。
状況はさほど好転していないため、今回も自己中的な話である。
誠に申し訳ない。
で、少しでも前向きにということで、とりあえず、これを[自己中エッセイ]と名付けた。前向きなのかなぁ?? まあ、いいや(笑)。
以後は、この表記をタイトルわきにつけようと思う。
『テキスト』だとのめり込んで時間も手間も食う悩み
noteのコンテンツ運用について、今現在、ひとつ悩ましいと思っていることがある。
『テキスト』によるブログ形式で書こうとすると、どうしてものめり込んで長文になってしまうという自分の性癖についてだ。
できることなら、毎日……それが無理でも1日おきくらいで、ここから何かしら発信したいと思っているのだが、本当にちょっとしたことを書こうとして『テキスト』で文章を書き始めると、ついつい長くなってしまい、
「ああ、今日は時間がないんだった。追い込まれた状態で必死に集中して仕事をすると、エネルギー消費が激しく、すぐに眠くなる。いい気分転換になっても、脳みそが機能しなくなったり、うっかり眠ってしまったら意味がない。オイラの場合、できるだけ気持ちを切らさず、目の前の仕事に専念する時間を増やす環境をつくらねば~」
となって、書いている途中で『下書き保存』してしまうのね。
でも、『下書き保存』したものって、その後、再開して完成させたものってほとんどないのよ(笑)。
もちろん、今後はしっかりと再開・完成させて、順次出していきたいとはおもっているけどね。
ただ、下書き保存で温めてしまうと、旬を逃してしまうことも多々あるので、出すタイミングが難しくなるというのはあるわなぁ。
で、そんなことを思ったりしていると、こういうとき、「やはり、twitterはいいなぁ」と思ってしまうワケです。
ちょろんとつぶやきたいときね。
twitterだと手軽に書けて、しかも、フォロワーさんも8600人とかそれなりにいたから、反応を頂ける。承認欲求も満たされるから、いいんだよね。
たとえば、一昨日の土曜日のこと。
この日は、朝から東京ドームに取材に行っていて、家に帰宅してすぐにテレビをつけるとカープ戦の中継に、なんと!!! 白濱裕太が打席に立っていた!!!
ここ数日、追い込みの連続でプロ野球もロクに見ていなかったオイラとしては、彼が1軍に上がっていたことは知らなかったので、
「うぉー! 白濱が1軍にいるー!」
と、たぎらずにはいられない。
そして、その感動を共有したいとなれば、やはりtwitterに投稿しよう!
と、なるのがこれまでの自然な流れだった。
だが、今はtwitterにログインするほうが辛い。
そうだ。そうだった……。
白濱が1軍入りしたことですら、
「そんなことは、見てみないとわからない。そんなことをいう気がしれない。一度、話を聞いてみたいもんだ」
とか、コメント付きでリツートされて晒されたり、
「では、白濱でなく坂倉が打席に立つということはどういうことですか?」
みたいな、屁理屈を上塗りするようなわけのわからん質問をされたら、オイラはいよいよ心臓麻痺を起こしてしまうかもしれない。
なので、twitterは当面やらない。
あの日、相手に文句をつけるリプを投げて以来、ずっとログインすらしていない。
次にログインするのは、必要にかられて何かの宣伝を告知しなくてはならないときであり、その時は息苦しい動悸にみまわれながらも覚悟を決めて戻らなくてはならないが……。
とはいえ、それを果たしたあとも、多少手数は増える程度だろう。フォロワーさんや、あるいは外部から継続に対する強い要望が来たり、今回の引きこもりの原因になっている相手さんからの謝罪でも直接こない限り、基本的にtwitterで野球に関係する私感をつぶやくことはもうしないつもりである。
ログインしていないからわかららないけど、リプを投げた相手はおそらく謝罪どころか食って掛かるようなリプ返しをしているに違いない。実際にお会いしてたときには、そんなことは微塵にも感じられなかったが、なにしろネット上ではモンスターだ。「己は何も間違っていない。己のすることがすべて正解」という考えに豹変して、オイラどころか著名人にまで食ってかかっている人なので。
あ、また、話題が怨恨へとズレはじめてしまった。ヤバい、ヤバい。
まだ、軽めな今のうちに区切っておかないと……。
『つぶやき』に短し、『テキスト』に長し
ということで、要するにtwitterがほとんど使えない今となっては、日常のつぶやきは、本来、noteの『つぶやき』で代用できるのではないか? という意見もあるだろうし、実際、オイラもそう思ったのだが……。
やってみると、noteの『つぶやき』は思っていた以上に反応が薄い。
いや、オイラがnoteを長年放ったらかしにしていたから、ということもある。うん。
それは理解しているが、現状、つぶやいて即座に反応がくるようになるには、もっとコンテンツの質を高めて、読者さんを増やさないと難しい。
となると、少なくともしばらくは『つぶやき』でtwitterのような喜びは得られまい。
『つぶやき』に短し、『テキスト』に長し
そんな状況に陥ってしまった。
では、それをどう打開するかとなると……。
結局は、臆せず『テキスト』でのブログで「つぶやき+α」程度の文字量少ない形での発信をしちゃえばいいんじゃない!?
そんな結論に達しつつある。
いわれて思い起こすと、twitterでつぶやくときというのは、常に制限のある“140文字”との戦いであった。
どうしても、文章が長くなるオイラの場合、たいていは一発では収まらない。
そのため、何度も修正をトライして収めるか、最悪、分割してリプライをつなげる形にしてきた。
まあ、それが推敲的なものを兼ねる利点もあったが、同時にわけがわからなくなって大事なワードを一緒に削除してしまい、誤字脱字も増えるという諸刃の剣でもあった。それを考えたら、文字量を気にせず投稿できる『テキスト』で、つぶやき気分で投稿するのは良策に思える。
とはいえ、現時点ではいささか違和感もある。
なんというか、水たまりに足を入れるつもりが、実はそこは底なしだったみたいな?? 140文字という制限はある意味つぶやくには適当だった感もあるので、制限のない『テキスト』だとやたらと深く思えるものである。結局は、一度書き始めたらのめり込んで長文になってはしまわないか? それでは、本末転倒になってしまう。
また、頻度の問題も出てきそうな気がする。
twitterでは、(多少は気にしたけど)連発で話題を挙げると、先に出したツイートが霞んでしまうのではないか? という不安も常に持っていた。
noteの『テキスト』においては、なおさらその不安を感じてしまう。
おそらく、一日にそう何発もは打てないだろう。せいぜい、2発。やって3発といったところかな。
そう思うと、たとえば朝から手軽に発してしまって、午後や夜にほかに書きたい話題が多々湧いて出てきたらどうしよう? となるのが怖い。
う~ん。
『テキスト』でつぶやきの延長的な短文を発してみるか!!
でも、それを気にしていたらキリないか。キリないよな。うん。
ということで、いつからになるかは不明だが、一時的、実験的な動きとして、同じ『テキスト』において、つぶやきの延長的な短文もこれから発していくことになると思う。
もちろん、『つぶやき』も並行して少しずつ発していく。
それである程度の目処が立てば、短文は『つぶやき』に専念・集約する形にしてもいいだろう。
とりあえず、やってみる。
まだ、何も定着させていないので、やりながら展開を变化させるのはアリだ。
よし、これで悩みはひとつ解消された。
良きタイミングなので。この話はこれでひと区切り。
では、また、出せるものから、できるだけ絶やさないように出していきませう!
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