「法句経」を学ぶ(4)

     

       【仏の道:遠望・近見】 (100)
        「法句経」を学ぶ(4)



                                                         第四 華の部 
  四四  誰か此の地を征服す、(誰か)又此の閻魔界と天界とを征服す 誰か
    善説 の寂靜への道を摘むこと猶ほ賢き人の華を(摘むが)如くする。
 

                              第4章 花にちなんで 
44  だれがこの大地を征服するであろうか? だれが閻魔の世界と神々とともなる  この世界とを征服するであろうか? わざに巧みな人が花を摘むように。 善く説か れた真理のことばを摘み集めるのはだれであろうか?


  四五  佛教を學ぶ人は(此の)地を征服す、
    又此の閻魔界と天界とを(征服 す)、佛教を學ぶ人は善説の
    寂靜への道を摘むこと猶ほ賢き人の華を(摘むが)如 くす。


45  学びにつとめる人こそ、この大地を征服し、閻魔の世界と神々とともなる この 世界とを征服するであろう。わざに巧みな人が花を摘むように、
学びにつとめる 人々こそ善く説かれた真理のことばを摘み集めるであろう。


   四六 此の身は水沫の如しと知り、陽炎の如しと覺る人は
    魔羅の華箭を壞り、死 王を覩ることなし。

46  この身は泡沫のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のもので あると、さとったならば、悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへ いくであろう。 


   四七  專心に華を採る人を死は捕へ去る、
    宛も眠れる村人を暴流が(漂蕩する)如くに。

47  花を摘むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、眠っている村 を、洪水が押し流して行くように、

  四八  專心に華を採る人を死は制服す、欲に於て飽かざるうちに。

48  花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果たさないうちに、
  死神がか れを征服する。

   四九  蜂が華と色と香とを損ぜずに蜜を取りて飛び去る如く、
    智者の村に乞食す るも亦然るべし。
 

49  蜜蜂は(花の)色香を害をずに、汁をとって、花から飛び去る。聖者が、
  村に行 くときは、そのようにせよ。

  五〇  他の過失と他の作と不作とを(觀るべから)ず、
    たゞ己の作と不作とを觀 るべし。
 

50  他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
  ただ自 分のしたこととしなかったこととだけを見よ。 

  五一  可愛の麗はしき華に香なきが如く、
    善き教の語も實行せざれば其の果な し。
 

51  うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、
  善く説か れたことばでも、それを実行しない人には実りがない。 


  五二  可愛の麗はしき華に香あるが如く、善き教の語は正しく行へば
    其の果あ り。

52  うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りあるものがあるよえに、
   善く説 かれたことばも、それを実行する人には、実りがある。 


  五三  諸の華を聚めて多くの華鬘を造り得べきが如く、
    人と生れたれば多くの善 を作すべし。
 

53  うず高く花を集めて多くの華鬘(はなかざり)をつくるように、人として
   生まれ、また死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ。

  五四  華の香は風に逆つて薫らず、栴檀も多掲羅も末利迦も亦然り、
   しかるに善 人の香は風に逆つて薫ず、善士は一切の方に薫る。

 
54  花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀もタガラの花もジャス 
   ミンも みなそうである。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らって 
   も進んで行く。徳の ある人はすべての方向に薫る。

   五五  栴檀又多掲羅將た又青蓮華、
     跋師吉の其等の香も戒の香に如かじ。

55  栴檀、タガラ、青蓮華、ヴァッシキー、これら香りのあるものどもの 
  うち でも、徳行の香りこそ最上である。

  五六  多掲羅や栴檀の香は微小なり、
    具戒者の香は諸天の間に薫じて比類なし。

56  タガラ、栴檀の香りは微かであって、大したことはない。しかし徳行 
   ある人々 の香りは最上であって、天の神々にもとどく。 

  五七  戒を具へ、不放逸に住し、正知解脱のものには魔羅便りを得ず。 
 
57  徳行を完成し、つとめはげんで生活し、正しい知慧によって解脱した 
  人々に は、悪魔も近づくよし無し。 

  五八  大道に遺棄せられたる塵芥聚の中に芳香悦意の蓮華生ずる如く、

58  大道に棄てられた塵芥の山堆の中から香しく麗しい蓮華が生ずるように。

  五九  是の如く塵芥に等しき盲ひたる凡夫の中に
    正自覺者の弟子は慧明を以て顯 はる。
 
59  塵芥にも似た盲た凡夫のあいだにあって、正しく目ざめた人(ブッダ)
  の弟子は知慧もて輝く。 

            【感想と考察】

何故、仏典のタイトルが「花」? ちょっと奇異な感じもするが、古来、インド人は花が大好きである。それもハンパではない。お祭りや結婚式の祝い事には必ず大量の花が華々しく飾られる。とりわけ宗教儀式では信者たちは色とりどりの花を大量に抱えて神々に捧げる。

私は、若い頃、インドに度々、旅をした。北部パンジャブ地方で見たマリーゴールド畑。若い女性の群れが花摘みをしている姿は美しく、インドならではの風景だった。何よりも驚いたのは、そのマリーゴールドがキロ単位、それも2、300円と言う格安だったことである。更に多種多量の「花飾り」がびっくりするほど安いお値段で店頭に溢れている。

更に感動したのは もう2年半も前の話だが、コロナ禍が世界を覆い始めた頃、我が身の危険を顧みず昼夜を分たず患者に寄り添う医療従事者に感謝するためインド空軍が大量の花ビラを上空から撒き散らし、世界を驚かせたのを思い出す。

2500年前の釈迦牟尼の教えも、この民衆たちに向けて語られた喩えとして受け止めねばなるまい。

熟達者の花集めも、魔王の花(快楽)のみを摘み愛欲に浸り、香りのない花のように実行を伴わない人の言葉に効果はない。聖者は、蜜蜂が花を損なわず蜜を取り去るごとく、種々の香りの中でも最高の”戒”を選び神々の中まで香る。正しく解脱した人には魔王も近づけない。

誠に花を愛でる人々に向けた素晴らしい説法である。

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