「法句経」を学ぶ(11)
【仏の道:遠望・近見】 (107)
「法句経」を学ぶ(11)
第十一 老耄の部
一四六 何を笑ひ何ぞ喜ばん、(世は)常に熾然たり、汝等黒闇に擁蔽さる、
奚ぞ燈明を求めざる。
第11章 老いること
146 何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?──
世間は常に燃え立っている のに──。
汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?
一四七 見よ、雜色の影像は積集せる瘡痍の體なり、痛み、欲望多し、
此に堅固 常住あることなし。
147 見よ、粉飾された形体を!(それは)傷だらけの身体であって、いろいろ
のものが集まっただけである。病いに悩み、意欲ばかり多くて、堅固
でなく、安住してい ない。
一四八 此の容色は衰ふ、病の巣なり、敗亡に歸す、臭穢の積集は壞る、
生らず死に終る。
148 この容色は衰えはてた。病いの巣であり、脆くも滅びる。腐敗のかた
まりで、やぶれてしまう。生命は死に帰着する。
一四九 秋の(棄てられたる)瓢の如き、此の棄てられたる、灰白の骨を見て
何ぞ愛樂あいげうあらん。
149 秋に投げすてられた瓢箪(ひょうたん)のような、鳩の色のようなこの
白い骨を 見ては、なんの快さがあろうか?
一五〇 骨を以て城とし、肉と血とを塗り、中に老と死と慢と覆とを藏す。
150 骨で城がつくられ、それに肉と血とが塗ってあり、老いと死と高ぶり
とごま かしとがおさめられている。
一五一 王車の美はしきも必らず朽つ、身もまた是の如く衰ふ、但だ善の徳
は衰へ ず、これ善士の互に語る所なり。
151 いとも麗しい国王の車も朽ちてしまう。身体もまた老いに近づく。
しかし善 い立派な人々の徳は老いることがない。善い立派な人々は
互いにことわりを説き聞 かせる。
一五二 愚人の老ゆるは牛の(老ゆるが)如し、彼の肉は増すも彼の慧は
増さず。
152 学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、
かれの知 慧は増えない。
一五三 吾れ屋宅の作者を求めて此を見ず、多生の輪廻を經たり、生々苦
ならざる なし。
153 わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって
来た、── 家屋の作者をさがしもとめて──。あの生涯、この生涯と
くりかえすのは苦しいこ とである。
一五四 屋宅の作者よ、汝は見られたり、再び屋宅を造る勿れ、汝のあらゆ
る桷は 折れたり、棟梁は毀れたり、心は造作すること無し、愛欲を
盡し了る。
154 家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作る
こと はないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまっ
た。心は形成作用 を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。
一五五 淨行を行ぜず、壯にして財を得ずんば魚なき池の中にて衰へたる鵝
の(死 する)如く死す。
155 若い時に、財を獲ることなく、清らかな行ないをまもらないならば、
魚のい なくなった池にいる白鷺のように、痩せて滅びてしまう。
一五六 淨行を行ぜず、壯にして財を得ずんば往事を追懷して臥す、敗箭の
如し。
156 若い時に、財を獲ることなく、清らかな行ないをまもらないならば、
壊れた 弓のようによこたわる。
──昔のことばかり思い出してかこちながら。
【感想と考察】
第11章は「老い」について自覚を促す。肉体は常住ではなく、常に変化し、そして生ある者には必ず老いと死が伴う。
長寿? 何を喜んでいるのか? この世は燃えつつあるのに、暗黒に覆われているのに、なぜ灯明を求めないのか? 身体は病気が絶えず、欲が多く、堅固かつ常住ではない。肉体は衰え、病み、壊れやすい。そして生ある者は必ず死ぬ。白骨になってから何の喜びがあろうか。
城(身体)は、骨と肉と血で作られ、その中に、老いと、死と、慢心と、偽りが仕舞い込んでいる。愚か者は老いても肉が牡牛のように増すが智慧は増えない。そして輪廻を経て、その生存は全て苦であったではないか。
同じ身体がおいても、善人の法は老いることがない。青年時代から浄らかな行いを行わねば、やがてその心は万物から離れ、衰え、死滅する。老いた身が求めるべき灯明を直視せよ。