「八大人覚」(1)
『正法眼蔵』の購読、次は「八大人覚」(ハチダイニンガク)の巻を読む。
禅を学ぶ時、この一巻は重要だと思う。
道元禅師ご自身、「如来の弟子は必ずこれを習学し奉べし」と教示し「これを習学せず知らざらんは仏弟子にあらず」と駄目押ししておられる。道元禅を理解するにはとりわけ欠かせぬもののようだ。
道元禅師は、建長5年(1253年)ガンを発症し、永平寺住職を辞し療養生活に入られたが、その折、これを弟子の懐奘に口述し書写させた。この翌年には享年54歳で亡くなられたので禅師最後の遺訓となった。
多くの解説書が口を揃えて指摘している通り、この「八大人覚」は、実は、全文、『仏遺教経』からの引用だと言う。つまり2500年前、釈尊が最後に残されたお経である。自らの入滅を予感した釈尊は沙羅双樹の根元に臥しておられたが集った弟子たちに示された最後のお諭しである。その要旨は「我が入滅後は、戒律を守り、五根を制し、放逸に流れることなく、”八大人覚”を修するがよい」であった。
病を得られた道元禅師がそれまで書かれた『正法眼蔵』各巻と、この「八大人覚」をどのような事情で書かれたか、これを書写した弟子の懐奘禅師が巻末に次のように記している。
「ただ今、建長七年(1255年)乙卯七月十五日、夏安居の制を解く前日に当たり、義演書記をしてこれを書写せしめ終わり、更にこれを校閲し終えたところである。この一本は先師(道元)の最後のご病気中で制作であった。
仰いで顧みれば、先師は、先にご選述の仮名書き『正法眼蔵』などを全て書き改め、更にそれに新しい玉稿をも加えて更に百巻の撰述にしたい、と仰せであった。既にそれに着手しておられ、この一本(八大人覚)はその第十二巻目になっていた。
しかし、病状が悪化し、筆を執るのも困難となられた。こうしてこの一本が先師最後の遺書となった。こうして不幸にも私どもはご計画の百巻書を拝見出来なくなったのである。誠に遺憾とするところである。
もし先師をお慕い申すのであれば、せめて、必ず、この巻を書写して護持するがよい。けだし、この一巻は、釈尊最後のお教えであるとともに先師最後の遺教であるからである」(以上、増谷文雄氏訳文)
原文は全て漢文である。原著にはとても歯が立たない。今回は、増谷文雄氏の訓読み文を底本に、懐奘禅師のお教え通り、一語一語、転写し、写経する想いを込めて拝読したいと思う。
「八大人覚」
【緒言・本巻の趣旨】
諸仏は是れ大人なり、
大人の覚知する所なれば、
所以に八大 人覚と称す。
此の法を覚知するを、涅槃の因と為す。
我 が本師釈迦牟尼仏、入涅槃したまひし
夜の最後の所 説なり。
【語義註解】
◉ 大人:「大丈夫人」の略。ここでは仏・菩薩を意味する。
◉ 涅槃の因:仏教の究極理想境地の源を指す。
諸々の仏は大人(優れた徳を備えた人)である。大人が悟り知っている八つの法なので八大人覚という。この法を自覚することが、涅槃(煩悩を滅ぼした悟りの境地)の元となるのである。これは我々の宗祖、釈尊が入滅された夜の、最後の説法である。
【小欲について】
一つには少欲。
未得の五欲の法の中に於て、
広く 追求せざるを、名づけて少欲と為す。
【語義註解】
◉五欲の法:五欲とは、眼 耳 鼻 舌 身に由来の
「色・声・香・味・触」が引き起こす人間の欲望を言う。
ここで言う「法」は「五欲というもの」との軽い意味である。
一は「少欲」である。まだ手に入れていない五感がもたらす欲望に関わるものを空しく追求しないことを「少欲」という。
仏の言はく、
「汝等比丘、当に知るべし、
多欲の人は、多く名利を求むるが故に、
苦悩も亦た多し。
仏(釈尊)は仰られた、「比丘(僧)たちよ、正に知るがよい。欲の多い人は、多くの名利を求めるので、苦悩もまた多いのである」
少欲の人は、求むること無く欲無ければ、
則ち此の患ひ無し。直爾に少欲すら尚ほ
応に修習すべし。何に況)ん や少欲の能く
諸の功徳を生ずるをや。
逆に欲の少ない人は、求めること無く、欲が無いので、このような患いは無い。 だからすぐに少欲を修め学ぶべし。まして少欲は多くの功徳を生むのである。
少欲の人は、則ち諂曲して以て 少欲の人は、則ち諂曲して以て欲の少ない人は、自分の心を曲げへつらって、人の好意を求めることが無い。また 外界の見るものや聞くものなどに心が煩わされない。
少欲を行ずる者は、心則ち坦然として、
憂畏する所なし。
事に触れて余り有り、
常に足らざること無し。少欲有る者は、
則ち涅槃有り。是れを少欲と名づく。
【語義註解】
◉ 坦然:平らで憂いのないこと
少欲を実行する者は、心が平らで憂い恐れることがない。物事に触れても満ち足 り ていて、常に不足が無いのである。だから少欲の者には「涅槃」(煩悩を滅ぼし た悟り の境地)がある。これを「少欲」という。