「八大人覚」(2)
【知足について】
二つには知足。已得の法の中に、
受取するに限りを以てするを、
称して知足と曰ふ。
第二は知足(足ることを知る)である。すでに手に入れたものの中で、それを受け取るのに限度を知ることを「知足」という。
仏の言はく、
「汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、
当に知足を観 ずべし。知足の法は、
即ち是れ富楽安穏の処なり。
仏の仰るには、 「比丘(僧)たちよ、もしすべての苦悩を解脱しようと願うなら、足るを知るとい うことを考察しなさい。足るを知るという法は、満ち足りて安穏な所なのである。
知足の人は、地上に臥すと雖も、
猶ほ安楽なり。不知足の者は、
天堂に処すと雖も、亦た意に称は ず。
足るを知る人は、大地の上に臥しても安楽なのである。しかし足るを知らない者は、天上界に住んでも意に適うことはない。
不知足の者は、富むと雖も而も貧し。
知足の人は、貧しと雖も而も富めり。
不知足の者は、常に五欲の為に牽(ヒ)かれて、
知足の者に憐愍せらる。
是れを「知足」と名づく。
足るを知らない者は、境遇は豊かでも心は貧しく、足るを知る人は、境遇は貧しく ても心は豊かなのである。足るを知らない者は、常に五欲に煩わされていて、足るを知る者に憐れまれるのである。これを知足という。