「仏遺教経」を読む (6)

【仏の道:遠望・近見】 (128)
「仏遺教経」を読む (6)


                                      II 修習世間功徳分。

                                              五 瞋恚の誡め

  汝等比丘、若し人あり来って節節に支解するとも、
  当に自ら心を攝めて瞋恨せしむること無かるべし、


「比丘達よ。もし何者かによって自らの手足をバラバラに切り裂かれたとしても、よく自分の心を制して、怒り・怨んではならない」


  亦当に口を護って、悪言を出すこと勿るべし、
  若し恚心を縦にすれば則ち自ら道を妨げ 
  功徳の利を失す、忍の徳たること、
  持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり、
  能く忍を行ずる者は、乃ち名けて有力の大人となすべし、

「また、正によく口を慎み、粗暴な言葉を発してはならない。もし怒りの心を制しなければ、それは自ら仏道を妨げて、諸々の功徳を失う事となるのだ。耐え忍ぶという徳には戒を持って苦行することすらも及ばないほどである。ことを行う者は、これを名付けて有力の大人とするべきである」


  よく若し其れ悪罵の毒を歓喜し忍受して
  甘露を飲むが如くすること能わざる者は、
  入道智慧の人と名けず 所以何ん、となれば
  瞋恚の害は則ち諸の善法を破り好名聞を壊す、
  今世後世の人見んと喜(ねが)わず、当に知るべし、
  瞋心は猛火よりも甚だし、常に当に防護して
  入ることを得せしむることなかるべし、

「もし他者からの罵詈雑言という毒をむしろ喜んで受け、あたかも甘露を飲むように受け入れることが出来ないならば、人道智慧の人とは言えないのである。なんとなれば、怒りの害は、よく諸々の善法を破り評判を損なうのだから。そして現世だけでなく来世においても(怒りを制せられない者など)人々は眼にすることすら嫌うであろう」
「正に知るべきである。怒りの心は猛火より甚だしい破壊をもたらすものである、と。常によく(自己を怒りから)護って支配されぬように」


  功徳を劫(かすむ)るの賊は瞋恚に過ぎたるは無し、
  白衣受欲非行道の人、
  法として自ら制すること無きすら瞋猶恕むべし、
  出家行道無欲之人にして而も瞋恚を懐けるは甚だ不可なり、
  譬えば、清冷の雲の中に霹靂火を起こすは所応に非るが如し。


「功徳を盗み取る賊の中で、怒りに勝る者はない。在家者は欲を楽しみ、道を修することのない人々である。宗教的徳義から自ら制することが無くとも、怒りは抑えるべきものとされているのである。出家して道を修め無欲を奉じる人であるのに、怒りの心を抱くことなど全くあってはならない。それは譬えば、澄み切った青空に浮かぶ白い雲であるのに、稲妻を発することがおかしいようなものである」

                                       【語義の吟味と考察】

次いで釈尊は、「瞋」の戒めを説かれる。
仏教では、煩悩の中でも「貧・瞋・痴」(トンジンチ)を「三悪道」と称して最も恐ろしい宿業とする。
「貧」は、物欲・金欲。足りるを知らず限りなく続く欲望
「瞋」は、憤り、怒り、腹立ち。
「痴」は、正しいことが理解できない歪んだ心。

釈尊は、その中でもとりわけ「瞋」(怒り)について、衝撃的な戒めの言葉から始められる。「強盗が刀で手足・身体を傷つけるようなことがあっても」決して腹をたて、怨み・憎しみの心を起こしてはならない、と。絶対、無抵抗を強調される。

たとえ一度でも、「粗暴な言葉を発し、怒りの心を制しなければ」これまで築き上げて来た徳も一瞬にして消えてしまう。怒りは燃え上がった火のように全てを破壊する恐ろしいもので現世に止まらず、来世にまでも引きずる執念深さがある。

それゆえに、菩薩道を行く者は、耐え忍ぶばねばならぬ。”耐え忍ぶ”徳には戒を持って苦行することすらも及ばぬ功徳がある。これを行う者は「有力の大人」となづけ称える。

少し理解出来る気がする。最初は、克己心を養えと言われているように思えた。だが、釈尊は悟りの姿を述べておられる。つまり無心・無我の境地にいれば人は腹を立てたり、怒ったり、憤慨したりはしない。

「他者からの罵詈雑言という毒をむしろ喜んで受け、あたかも甘露を飲むように受け入れることが出来ないならば、人道智慧の人とは言えない」と自らを顧みることを勧める。確かに、先に学んだ法句経にもあった。恨みは恨みの連鎖を生み出す。「恨みなきによりてのみ恨みは消える」と。

確かに「怒り」の感情は、「我」に発する。我執の発露である。悟りによって無我の境地に至り、無私・無欲となれば「罵詈雑言という毒をむしろ喜び、あたかも甘露を飲むように受け入れる」だろう。

釈尊は仰る。「出家して道を修め無欲を奉じる人であるのに、怒りの心を抱くことなど全くあってはならない。それは譬えば、澄み切った青空に浮かぶ白い雲であるのに、稲妻を発することがおかしいようなものである」

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