「谿声山色」を読む(4)
【仏の道:遠望・近見】 (137)
「谿声山色」を読む(4)
「注釈」
ここでは「竹の声」で悟りを開いた香厳智閑禅師の大悟を語る。
また香厳智閑禅師(キョウゲン チカン ゼンジ)、
かつて大潙大円禅師の会に学道せしとき、大潙いはく、
「なんぢ聡明博解なり、章疏のなかより記持せず、
父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし。」
又、香厳智閑禅師が、以前 大潙大円禅師の道場で学んでいた時に、大潙は言いました。「おまえは聡明博識だが、経書の中から覚えたことではなく、父母がまだ生まれない以前のことについて、私に一言いってみなさい。」と。
香厳、いはんことをもとむること数番すれども不得なり。
ふかく身心をうらみ、年来たくはふるところの書籍を披尋するに、
なほ茫然なり。
香厳は、何度も答えようとしましたが出来ませんでした。深く自分自身を恨み、年来集めた書物を読んで答えを探したのですが、尚 茫然とするばかりでした。
つひに火をもちて年来のあつむる書をやきていはく、
「画にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず。
われちかふ、此生に仏法を会せんことをのぞまじ。
ただ行粥飯僧(ギョウシュクハンソウ)とならん。」といひて、
行粥飯して年月をふるなり。
遂に年来集めた書を燃やして言うことには、「絵に描いた餅では飢えを満たせない。私はもう今生に仏法を悟ることを望まない。ただ行粥飯僧として務めよう。」と。そうして行粥飯をして年月が過ぎました。
行粥飯僧といふは、衆僧に粥飯を行益するなり。
このくにの陪饌役送(バイセンヤクソウ)のごときなり。
行粥飯僧とは、修行僧に粥飯を給仕する係です。この国の台所の料理を世話する係のようなものです。
かくのごとくして大潙にまうす、
「智閑は心神昏昧にして道不得なり、和尚、わがためにいふべし。」
香厳はこのようにして大潙に言いました。「私は心が愚かで答えられません。どうか和尚、私のために答えてください。」
大潙のいはく、「われなんぢがためにいはんことを辞せず、
おそらくは、のちになんぢわれをうらみん。」
大潙の言うことには、「おまえのために言ってもよいが、きっと後になって、おまえは私を怨むことになろう。」と。
かくて年月をふるに、大証国師の蹤跡をたづねて、にいりて、
国師の庵のあとに、くさをむすびて爲庵す。
竹をうゑてともとしけり。
こうして香厳は年月を経た後に、大証国師の跡を訪ねて武当山に入り、国師の庵の跡に草庵を結びました。そして、竹を植えて友として過ごしました。
あるとき、道路を併浄するちなみに、かはらほとばしりて、
竹にあたりてひびきをなすをきくに、豁然として大悟す。
ある日、道を掃いていると、かわらが飛び散って竹に当たり、「カーン」と響くのを聞いて、からっと仏道を悟りました。
沐浴し、潔斎して、大潙山にむかひて焼香礼拝して、
大潙にむかひてまうす、
「大潙(ダイイ)大和尚、むかしわがためにとくことあらば、
いかでかいまこの事あらん。恩のふかきこと、
父母よりもすぐれたり。」
そこで香厳は、身体を洗い清めて大潙山に向かって焼香礼拝し、彼方の大潙禅師に申し上げました。「大潙大和尚よ、昔 私のために教えてくれたなら、どうして今日の事があったでしょうか。その恩の深いことは、父母よりもすぐれています。」
つひに偈をつくりていはく、
「一撃に所知を亡ず、更に自ら修治せず。
動容古路を揚ぐ、悄然の機に堕せず。
処々蹤跡無し、声色外の威儀なり。
諸方達道の者、咸く上上の機と言はん。」
後に詩を作って言うには、
「かわらが竹を打つ響きに我を忘れ、更に自ら修めることなし。
立ち居ふるまいは古仏の道を歩み、心は憂いに沈むことなし。
いたるところ跡なきことは、見聞きする我によらざる姿なり。
諸方の仏道の達人は、みな最上の器量と言うであろう。」
この偈を 大潙呈す。大潙いはく、「此の子、徹せり。」
この詩を 大潙に送ると、大潙の言うには、「この人は道に徹した。」と。
【註釈】
◯ 香厳智閑禅師:初め百丈禅師に会い、後に潙山に参じた潙仰宗の僧。
大円禅師とも言われる名僧である。
◯ 一撃に所知を亡ず:この詩偈については、
増谷文雄氏の次の意訳がよりわかり良い。
あの音、一つで諸々の知識は吹っ飛んだ。
もはや、あれこれ悩むことはない。
ありのままの姿で仏道を歩み、
行いすました者にはなり申さぬ。
ただ自由自在にこそ振る舞いたい。
言語文字の他に当為はある。
無碍自在の道に達する者こそ
まさに上々の機というべきなり。