「谿声山色」を読む(2)
【仏の道:遠望・近見】 (135)
「谿声山色」を読む(2)
居士、あるとき仏印禅師(ブッチン ゼンジ)了元和尚(リョウゲン オショウ)と
相見(ショウケン)するに、仏印さづくるに法衣(ホウエ) 仏戒等をもてす。
居士つねに法衣を塔(タッ)して修道(シュドウ)しき。
東坡居士がある日、仏印禅師 了元和尚に会うと、仏印は法衣(袈裟)や仏戒等を授けました。そこで居士は、常にその法衣を身に着けて修行しました。
居士、仏印にたてまつる に無価(ムゲ)の玉帯(ギョクタイ)をもてす。
ときの人いはく、凡俗所及(ボンゾク ショギュウ)の儀にあらずと。
居士はそのお礼として、仏印に貴重な玉飾りの帯を差し上げました。当時の人々はこの事を、とても凡人の及ぶ所ではないと言って讃えました。
しかあれば、聞谿悟道(モンケイ ゴドウ)の因縁、さらにこれ
晩流(バンル)の潤益(ジュンヤク)なからんや。あはれむべし、
いくめぐりか現身説法の化儀(ケギ)にもれたるがごとくなる。
それならば、居士の谿声を聞いて悟道したという因縁は、さらに晩学後進の者たちの利益とならないことがありましょうか。哀れに思うのは、我々が何回も、仏が姿を現わして法を説く、その教化から漏れてきたことです。
なにとしてかさらに山色を見、谿声をきく。一句なりとやせん、
半句なりとやせん、八万四千偈なりとやせん。
それでは、どのようにして新たに山色を見、渓声を聞けばよいのでしょうか。一句としてでしょうか、半句としてでしょうか、それとも八万四千の偈文としてでしょうか。
うらむべし、山水にかくれたる声色(ショウシキ)あること。
又よろこぶべし、山水にあらはるる時節因縁あること。
舌相も懈倦(ケゲン)なし、身色あに存没(ゾンモツ)あらんや。
恨みに思うことは、山水に隠れている仏の声と姿があることです。また喜ぶべきことは、山水に仏が現れる時節因縁があることです。その説法は倦むことを知らず、その姿も決して生滅することはないのです。
しかあれども、あらはるるときをやちかしとならふ、
かくれたるときをやちかしとならはん。
しかし、仏の現れる時が仏と親しいと知るべきなのか、それとも、隠れている時が仏と親しいと知るべきなのでしょうか。
一枚なりとやせん、半枚なりとやせん、従来の春秋は山水を
見聞せざりけり、夜来の時節は山水を見聞することわづかなり。
東坡居士は、一つであろうと半分であろうと、これまでの春秋では山水の仏を見聞しなかったのですが、昨夜の時節には、山水の仏をほんの少しだけ見聞したのです。
いま学道の菩薩も、山流水不流より学入(ガクニュウ)の門を開すべし。
今、仏道を学ぶ菩薩(修行者)も、「山は流れ水は流れない」という所から仏道を学び始めなさい。
【注】
◯ 東披居士蘇軾:宋の詩人蘇東披(1036~1101)。
◯黄州(湖南省黄岡)に滴居した時、自ら耕した土地を東披と呼び東披居士
と号した。居士とは、家庭生活を営みながら仏道修行にはげむ人。
◯字(あざな):中国において人々が互いに呼びかわすのに実名を用いるの
を不敬とし、別に用いる名。
◯子瞻(しせん):蘇東披の字(あざな)
◯筆海:文筆界、詩文の世界。
◯真竜:真の竜、転じて巨匠、大家の意。
◯仏海:仏教界。
◯重淵:深いふち。
◯層雲:かさなった厚い雲。
◯偈: 梵語ガータの音写、仏教礼讃の詩をいう。
◯常総禅師:照覧常総禅師(1025~1091)。
◯黄竜慧南禅師の法嗣。初めロク潭に住し、後に江州東林の竜興寺に
移った。
◯渓声:谷の水音。
◯広長舌:釈尊の三十二のすぐれた身体上の特徴を数え上げたいわゆる
三十二相の一つ。転じて釈尊の行なわれた説法を比喩的に
広長舌という。
◯山色:山の姿。
◯清浄身:清浄な肉体、転じて釈尊の健康な肉体を指す。
◯挙似:とり上げて人に示すこと。似はみせる、しめす。
◯黄竜慧南禅師:信州玉山(江西省)の人(1002~1069)。
石霜楚円の法嗣。隆興府の黄竜山に住持して宗風を
振った。黄竜派の祖。謐号は普覚禅師。
◯法嗣(はっす):師の悟りを伝承した後継者。
◯慈明楚円禅師:全州李氏の出(987~1040)。
22才の時湘山隠静寺において出家。石霜山(湖南省)に
住し、大いに臨済の宗風を振った。扮陽善照の後継者。
◯法系:臨済→興化→南院→風穴→首山→汾陽→慈明