「八大人覚」(4)
【仏の道:遠望・近見】 (85)
「八大人覚」(4)
【精進について】
四つには「勤精進」)。諸の善法に於て、
勤修すること無 間なり、故に「精進」と云ふ。
精にして雑ならず、進ん で退かず。
第四は、勤精進(勤め精進すること)である。多くの善法を休みなく勤め修め るのである。それで「精進」という。精細にして雑にせず、前進して退かないのであ る。
仏の言はく、
「汝等比丘、若し勤精進せば、
則ち事として難き者無し。是の故に
汝等、当 に勤精進すべし。
譬へば少水の常に流るれば、
則ち能く石を穿 つが如し。
仏の仰るには、
「比丘たちよ、もし勤めて精進すれば、解脱を得る事に難しい人はいない。だからお前たちは、勤めて精進しなさい。例えば、少しの水でも常に流れていれば、よく石を穿つようなものである。
若し行者の心、数数懈廃すれば、
譬へば火を鑽 るに、未だ熱からずして
而も息めば、火を得んと欲す
と雖 も、火を得べきこと難きが如し。
是れを「精進」と名づく。」
しかし、もし修行者の心がしばしば怠けるようであれば、例えば錐もみして火を起 こす時に、まだ熱くならないうちに手を休めれば、火を起こそうと思っていても、 火を起こすことが難しいようなものである。これを精進という。」