「弁道話」を学ぶ(4)
・・・・「坐禅の功徳」・・・・
いはく、大師釈尊、霊山会上にして法を迦葉につけ、
祖祖正伝して菩提達磨尊者にいたる。
尊者みづから神丹国におもむき、法を慧可大師につけき。
これ東地の仏法伝来のはじめなり。
大師 釈尊は、霊鷲山の法会で法を摩訶迦葉に授け、その法は祖師から祖師へと正しく伝えられて菩提達磨尊者に至った。達磨尊者は自ら中国に赴き、法を慧可大師に授けた。これが東地中国の仏法伝来の始まりである。
かくのごとく単伝して、おのづから六祖 大鑑禅師にいたる。
このとき、真実の仏法まさに東漢に流演して、
節目にかかはらぬむねあらはれき。
ときに六祖に二位の神足ありき。
南嶽の懐譲と青原の行思となり。
ともに仏印を伝持して、おなじく人天の導師なり。
釈尊の法は、このように一すじに祖師から祖師へと相伝して、自然に六祖 大鑑慧能禅師に至った。この時、真実の仏法はまさに東方の中国に流伝し、教理の細目に頼らない宗旨が世に知られるようになった。その時、六祖には、二人の優れた弟子がいた。南嶽の懐譲と青原の行思である。共に仏の悟りの法を相伝護持し、同じく人間界 天上界の導師となった。
その二派の流通するに、よく五門ひらけたり。
いはゆる法眼宗、潙仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨済宗なり。
見在、大宋には臨済宗のみ天下にあまねし。
五家ことなれども、ただ一仏心印なり。
その二派が世に広まると、さらに五つの門流が開けた。いわゆる法眼宗、潙仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨済宗である。現在、大宋国には臨済宗だけが天下に広く行き渡っている。五家の門流は異なるが、ただの一つの仏心印(釈尊の法)を伝えている。
大宋国も後漢よりこのかた、
教籍あとをたれて一天にしけりといへども、
雌雄いまださだめざりき。
祖師西来ののち、直に葛藤の根源をきり、
純一の仏法ひろまれり。
わがくにも又しかあらん事をこひねがふべし。
大宋国にも後漢の時代以来、経典が伝えられて天下に広まったが、その教えの優劣を論じて定まることがなかった。だが祖師達磨がインドより来られて、直ちにその問題の根源が断ち切られ、純一な仏法が広まった。我が国もまた、そうあるべきことを願うべし。
いはく、
仏法を住持せし諸祖ならびに諸仏、
ともに自受用三昧に端坐依行するを、
その開悟のまさしきみちとせり。
西天東地、さとりをえし人、
その風にしたがへり。
これ、師資ひそかに妙術を正伝し、
真訣を稟持せしによりてなり。
仏法を伝え相続してきた諸祖師や諸仏は、皆共に自受用三昧、つまり今の自分と一つになることを旨とし、正しく坐る修行を、悟りを開く正しい道としてきた。西天のインドや東地中国で悟りを得た人たちは、皆その習わしに従った。これは師と弟子とが、ひそかに悟りを開く妙術を正しく伝えて、その秘訣を受け継いできたからである。
宗門の正伝にいはく、
「この単伝正直の仏法は、最上のなかに最上なり。
参見知識のはじめより、
さらに焼香、礼拝、念仏、修懺、看経をもちゐず、
ただし打坐して身心脱落することをえよ。」
もし人、一時なりといふとも、三業に仏印を標し、
三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、
尽虚空ことごとくさとりとなる。
宗門の正しい伝統の教えに次の言葉がある。即ち
「祖師がひとすじに相伝したこの正直な仏法は、最上の中の最上である。この法を得るには、優れた師に参じた最初から、焼香、礼拝、念仏、懺悔、読経などを用いず、ただ坐禅して身心を脱落させよ」とある。
もし人が、ひと時であっても三業(身と口と心の行い)に仏心印(仏の悟りの法)を示して、三昧に坐禅する時には、全世界が皆 仏心印となり、あらゆる世界は悉く悟りとなる。
ゆゑに、諸仏如来をしては本地の法楽をまし、
覚道の荘厳をあらたにす。および十方法界、
三途六道の群類、みなともに一時に身心明浄にして、
大解脱地を証し、本来面目現ずるとき、諸法みな正覚を証会し、
万物ともに仏身を使用して、すみやかに証会の辺際を一超して、
覚樹王に端坐して、一時に無等等の大法輪を転じ、
究竟無為の深般若を開演す。
その故に、諸仏は本身の法楽を増し、悟りの道が新たに荘厳される。世界の三途(地獄 餓鬼 畜生)六道(地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天上)の全ての人々は、皆共に同時に身心が浄められて、大解脱の境地を悟る。
その本来の自己が現われた時、あらゆるものが皆 仏の正覚(悟り)を証明して、万物は共に仏身を働かせ、速やかに悟りのほとりを飛び越えて釈尊成道の菩提樹に坐す。そして同時に無上の大法を説いて、究極にして無為の深い般若の智慧を演説するのである。