「仏遺教経」を読む (5)

【仏の道:遠望・近見】 (127)
「仏遺教経」を読む (5)


            II 修習世間功徳分。
             四 睡眠の誡め 

  汝等比丘、晝(ひる)は則ち勤心に善法を修習して
  時を失せしむること勿れ、
  初夜にも後夜にも、亦廃すること有ること勿れ、
  中夜に誦経して以て自ら消息せよ、
  睡眠の因縁を以て一生空しく過して所得無からしむること無かれ、

「比丘達よ。昼は勤めて善法を修習し、時間を無駄にしてはならない。初夜にも、後夜にも、また善法を修習することを止めてはならない。中夜に誦経して休息せよ・心昏く呆けて一生を空く過ごし、得る者が何も無いようではならない」


  当に無常の火の諸の世間を焼くことを念じて
  早く自度を求むべし、睡眠すること勿れ、
  諸の煩悩の賊、常に伺って人を殺すこと怨家よりも甚だし、
  安んぞ睡眠して自ら驚寤せざるべけんや、


「正に無常の火が諸々の世間(の事象・事物)を焼くことを心にとどめ、速やかに自らが自らを救うことを求めよ。心昏く呆けてはならない。諸々の煩悩という賊が、常に人を殺そうと窺っていることは仇敵とも比較できないほどである。どうして心昏く呆けているままにして、自心を奮い立たせ覚醒させないでいいということがあろうか」

  煩悩の毒蛇睡って汝が心にあり、
  譬えば黒蚖の汝が室に在って睡るが如し、
  当に持戒之鉤を以て早く之を屏除すべし、
  睡蛇既に出なば、乃ち安眠すべし、
  出ざるに而も眠るは、是れ無慚の人なり、


「煩悩という毒蛇は、汝の部屋で眠っているようなものである。正に持戒という鉤を持って速やかに煩悩という毒蛇を取り除かねばならない。心昏く呆けているという毒蛇を排除してからこそ、安眠するべきである。これを排除しないでいながら眠るのは、恥を知らぬ者である」


  慚恥の服は、諸の荘厳に於て最も第一なりとす、
  慚は鉄鉤の如し、能く人の非法を制す、
  是故に比丘常に当に慚恥すべし、
  暫くも替つること得ること無かれ、
  若し慚恥を離すれば則ち諸の功徳を失す、
  有愧の人は則ち善法あり、若し無愧の者は、
  諸の禽獣と相異なること無けん。

「慚恥という服は、諸々の装飾の中で第一に優れたものである。慚は鉄の鉤のようにほく人の非法を制するのだ。このことから、比丘達よ、常に慚恥せよ。ひと時も恥じることを捨ててはならない。もし慚恥を忘れたならば、たちまち諸々の功徳を失うであろう」
「慚ある者にはすなわち善法がある。恥を知らない者は、諸々の禽獣と異なることはない」

          【語義の吟味と考察】

修行による功徳の第4は、睡眠である。仏道では
「初夜」は「18時~22時)
「中夜」(22時~翌2時)
「後夜」が「2時~6時)とする。
そして「中夜」と「後夜」の間が「昼間」である。

釈尊は、「昼は即ち勤心(ゴンシン)に善法を修習」するよう勧められる。昼間は仏法を学び修行することに専心し、時間を無駄にしてはならぬと教示。更に「初夜」でも「後夜」でも修行は怠ってはならぬ、とされる。

「中夜」においては、特に眠気を催すので、読経するのも、休息するのも良い。睡眠は「五大欲望の因縁であることに留意し、睡眠を慎むべきである」とし、特に心すべきは、「諸々の煩悩の賊、常に伺って人を殺すことは怨家よりも、甚し。安んぞ睡眠して自ら警寤せざる可けんや。」 つまり惰眠は煩悩と言う人の命を奪わんとする賊の入り込む隙を与えるようなものであることに心せねばならぬ。不幸の元凶である煩悩の温床が惰眠である。

そして釈尊は、毅然として断言されている。
「煩悩という毒蛇は、汝の部屋で眠っているようなものである。正に持戒という鉤を持って速やかに煩悩という毒蛇を取り除かねばならない。心昏く呆けているという毒蛇を排除してからこそ、安眠するべきである。これを排除しないでいながら眠るのは、恥を知らぬ者である」

惰眠を貪るな、惰眠を恥と知れ。「慚恥という服は、諸々の装飾の中で第一に優れたものである」 この説諭は、道元禅師の大悟の話を想起させる。中国・宋の天童山で修行中、仲間の一人が居眠りし、師の如浄禅師が一喝されたその声で道元禅師は大悟されたと言う。

慚恥、恥を知らぬ者は禽獣と変わらぬ”動物”でしかない。眠気は怠惰の入り口である。それを知ったならば、避けよ、煩悩の温床は怠惰にある。味わうべきお言葉である。

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