【塾に通わせる本当の意味とは】
こんにちは、そらまめです💨
娘の受験が終わって早や1ヵ月。
先日、合格した熱望校の入学説明会もあり、妻と娘は張り切って出かけて行った訳ですが、
髪型などの身だしなみから1日の自宅での勉強時間まで。さっそく細かく指導を受けてきたようです。
思えば〇年前の長男校の説明会の時。
「基本生徒の自主性に任せて下さい」
と校則についてはおろか、
その後の諸々の日程などについてもほぼ何も言われなかったのと全然違う、と妻は驚いていました。
どっちが良いとかではなくて、どっちも長男と娘の性格にバッチリハマっていて、
やはり学校によってカラーは段違い。より子供のタイプに近い学校を選べるというのは、受験することの大きなメリットのひとつだなと改めて感じています。
かくして解放感に浸り、だらけまくっていた娘のスイッチも再び押されたのであります。やはり、
環境の力は偉大ですね。しめしめ。
さて、そんな我が家の子供たちが受験が終わった今でも共通して言うことが、
ということ。
この言葉を聞いて若干違和感を感じる方もいるかも知れません。
塾は勉強をするところ。
レベルの高い子から刺激を受けるのならまだしも、和気藹々と仲良く過ごすのはどうなのか。
なんて具合です。
かくいうそらまめ家でも、マンモス大手塾に通っていた長男と比べ、
穏やかな中堅塾に通っていた娘が、
成績も上がらないクセに毎度のように、
「塾へ行くのが楽しい」
と言っている姿に、何度もヤキモキしたものでした。
(楽しんでどうすんねん、苦しめよ)
なんて。
だって、周りの子としのぎを削って勉強しているのならそれなりに苦しい筈ですよね??
ところがそんな我々の常識が完全に覆されたのが、娘の6年生の冬休み、正月特訓が始まった頃でした。
本番が間近に迫るその時期は、特に子供のメンタルも極限近くまで追い込まれ(娘はそうでもなさそうでしたが)、
一番辛く厳しい時だとも言えます。
特訓には同じ学校を目指す子らもいたのですが、もうその頃になるとライバルというよりは、苦しみを共に分かち合う同志のような感覚になっていたそうです。
あの子が頑張っているから私も頑張る、みたいなシンパシーが、プレッシャーと疲れでパンパンだった頭を解してくれたのですね。
そんな癒しのような力はいくら親が頑張っても子供に与えられるものではないのです。
親は確かにふんだんに協力してはくれる。
けれども所詮見ているだけ。自分事ではない。
一方、塾で頑張っている子らは自分と同じように追い込まれながらも日々戦っている。
当事者同士にしか分からない共通の思いがあったのでしょう。
長男にしても同じだったようです。
塾内で同じ学校を目指すのなら敵かというとそうでもなくて、みんなで一緒に受かろうという固い結束まで生まれていたようです。
クリスマスなどで世間が賑わっている中で、長時間塾に籠って勉強しなければいけない。冗談を言い合ったり出来る”友達”の存在は唯一の救いだったようです。
これは個別塾や家庭教師では決して受け取れない大きなメリットですね。
そしてこんなに辛い修練を潜り抜けていった子達は、受験結果の如何に関わらず、必ず大きく成長出来るのだと改めて思うのです。
「人は1人では生きていけない」
そんなこともきっと実体験として学んでいる筈です。
ちなみに塾によってカラーは様々です。
節目節目で叱咤激励して背中を押してくれる塾もあれば、デリケートに気持ちを包み込んでくれる塾もあります。子供の性格に合うタイプの塾を選べば良いのです。
ただ志望校に対する合格実績については、合格者数と共に”何人受けた中での”という分母も意識するようにしましょう。
大抵の塾では合格率という出し方はしていないと思うので。
ということで今回はここまでです。
それではまた!
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