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幸せ受容体
十数年以上前に、某芸能人とお会いしたことがある。イベント会社に勤めていた大学の先輩が、子供がまだ小さくて無職だった私に、日雇いアルバイトとしてアシスタントの仕事をくれたのだ。
誰もが知っている有名人だったのに、腰が低くて、本当に優しい方だった。人によって態度を変えることが一切なく、明らかに大学生アルバイトみたいなスタッフにもニコニコ接していた。もし万が一、その方が有名人だと知らないで会った人がいたとしたら、会ったことがきっかけでファンになりそう。そんな素敵な方だった。
それなのに、自分で命を絶った。そのニュースを知った時は、頭を強く殴られた気がした。
俳優、芸人、ミュージシャン、有り余るほどの富や美貌や才能があっても、自殺してしまう人がいる。
見えない部分はわからないけど、華やかな世界で生きていて、たくさんの人を喜ばせたり楽しませたりすることができていても、生きていてつらいと感じるのだろう。
かたや、お金もパートナーも友人もなくて、特に褒められるような容姿も特技も何もなくても、メンタルが安定していて幸せを感じながら過ごせる人もいる。
貯金もなく、ギリギリの生活をしていても、動画を見て笑って、スーパーで買ったチューハイとおつまみだけで幸福を感じられるという人も、間違いなく存在する。
その違いは、何なんだろう。
自分の中にも、「十分に恵まれているのに不満な方ばかり見てしまう」癖があるのは自覚している。今の生活に何も不満がないにもかかわらず、実家のことを思い出しては、怒りがこみ上げる。
例えば、我が家は、夫が会社員で、私が扶養内でパートをしている。扶養内だから、週3回働いて月に10万円ぐらい。夫は、同世代の中ではおそらく高収入の部類に入る。その10万がなくても生活はできるが、やっぱりあった方が断然いいので、私は働いている。
子供も中学生になった今、専業主婦では時間を持て余すし、パートの仕事自体は、実は意外と楽しい。それでも、じゃあいいよねの感情で済まないのが難しい。
「弟は住居費がかからないんだよな。固定資産税やローンがないなら、だいぶラクだな。車も、結局父親の車なんだ。車検も保険も、親持ちか」などと考えてしまう。
扶養内の収入には壁があって、世のパート主婦はその壁を意識しながら働くわけだけれど、弟が実質的にもらっている金銭に壁はない。
「パパがやってるから、ママは何もわからないの〜」の母には、税金という概念すらないのではないだろうか。累進課税とか知ってるのかな(呆)。
正直ずるいと思ってしまうのだが、自分の財布から取られているわけでもなし、自分には何のダメージもないのだから、考えてしまうことをやめたい。
前回の記事で書いたように、テレビをつけたら見目麗しいきょうだいが活躍していたら、それはさすがにダメージを受けるだろう。でも私の場合は、自分から見に行かなければ見えないのだから。
「弟だけ親のスネかじっててずるい」
文字にしてみると、いかにちっぽけな悩みだろう。
でも、私がこの感情から解放されることは、なかなか難しい。弟と親のことを頭から追い出せたら、私は憂いなく幸せなのに、と思う。
しかし、憂いのない人間など、いるのだろうか。
散漫な文章になってしまったけれど、もっと大きな人間になりたい。