日本人なのにドナウ川を讃えさせられていた話
先日、娘の中学校の合唱祭に行ってきた。
娘は今年もピアノ伴奏をしっかりとこなし、待ち時間ではロビーで友達とおしゃべりしていて、本当に楽しそうだった。こういうのを見ていると、過去の自分が慰められる気もする。しかし、行き過ぎると結局は親の行きられなかった人生の押し付けになるから、ただ私はそっと応援するだけにしている。
思春期まっただ中の中学生が、恥ずかしかったり揉めたり色々あるんだろうけど、協力しながら一つの歌を作り上げる光景は、本当に尊い。六歳から女子校の私には、声変わりしきった男子の低い声も新鮮だ。女子達の声と合わさり、混声にしか出せない音の層が心地良い。
どのクラスの合唱も素晴らしく、歌詞がスッと入ってきた。十代のパワーと感性が活きる選曲ばかりで、大人になったらなかなか出せないなと思わせる魅力にあふれていた。
自分が行っていたあの妙な学校にも、合唱祭はあった(交歓会とかいう名前だったかも)。
覚えているのは、「美しく青きドナウ」みたいな歌を歌わされていたこと。
日本人の中学生がドイツの川を讃える。シュールな光景過ぎやしないか。
曲に罪はないが、なぜドナウ川?
当時からずっと疑問だった。
ドイツに縁があるとか、親の思い出の地で頻繁に訪れているとかなら、まだわかる。
実際は、四十路を迎えた今でも、ドイツには一度も行ったことがない。そして、金持ちが多い同級生の中にも、実際にドイツを複数回訪れた子なんて、そうそういなかったと思う。
熱心に歌唱指導をされるたび、私の頭の中は疑問符でいっぱいになった。なぜ、ドナウ?
ドナウを讃えるなとは言わないが、もっと日本の中高生にしか歌えない歌があるだろう。思春期の葛藤とか苛立ちとか、みずみずしい感性とか。せめて日本の自然について歌うとか。
一事が万事で、母校はおかしな西洋かぶれが多く、それをありがたがる親達も、自分にとっては年々滑稽に見えてきた。
卒業式には、英国式のローブを着たな。あれも、親からすると特別感があったらしく誇られたが、私は恥ずかしかったし、滑稽だと思いました。