味がしない会食
前回の記事でも書いたように、私はずっと息苦しさを感じていた。息苦しいということにも気付かないまま、淀んだ空気の中でいくら深呼吸しても肺が苦しいような感覚を覚えていたような気がする。
子供の頃の私は、正月や冠婚葬祭が苦手だった(子供は大体そう、というのを差し引いても)。
なぜかというと、常に母から行動を採点されているようで緊張したから。
私は、長男である父の第一子、しかも祖父母にとって初孫であった。次の孫である従兄弟が生まれたのは四年後、そこから三年連続で弟含む孫達が続いたので、その三人はまとめて「幼児達」、私は「子供」といった感じで線が引かれていた。
祖父母は、ホテルのレストランで食事をするのが好きで、正月や何かの祝い事には二人の息子と嫁と孫達を集めて、よく会食した。
幼児三人は小さい子扱いしてもらえるが、少し早く生まれてしまった私は、大人と同じようなテーブルマナーを求められる。
ナイフとフォークは外から使い、皿は音を立てずに扱い、大きな声は出さない。
自分で言うのもなんだが「利発な子」と思われていた私は、それらをやってのけた。母はそれでも私を褒めることなどなく、いつも目の奥が怯えていた。
今思えばそれは、祖父母の扱いとかその場の雰囲気とかというより、母のコンプレックスの暴走だったのではないだろうか。
以前も書いたように、母は、父方の親族から馬鹿にされていたようだ。公立の小中を出て、最終的には高卒で学がないと。
父方の祖父母は比較的早く亡くなったのだが、大人になってから思い返すと、孫にとっては優しいだけの祖父母だったけれど、嫁に来た方からしたら、さぞかし嫌だったろうと思った。もちろん、受け取り手の母の僻み根性も良くない。今思えば、最悪な組み合わせの嫁姑だったのだろう。
しかし、それは、私には全く関係のない話だ。
結婚して、夫側の親族と付き合うようになった時、「なんて気楽なんだ!」と驚いた。
娘も義両親にとっては初孫だけれど、すでに孫がいる親戚達も、子供にあれやこれや言ってこない。手土産がどうのとかお年賀がどうのとか、聞けば教えてくれるし、おそらくこちらが非常識な振る舞いをすれば指摘してくるだろうが、どうでもいいことを先回りして指示してこちらの気を滅入らせることはない。
これがまた皮肉なのが、経済状況として私と夫の実家はちょうど同じぐらいの家で、義母自身はわりと裕福な家庭で育っている。だから、小金持ちが意地悪なのではなく、私の親の人間性のせいであろう。
もちろん、義両親にもおかしな所はあったし、今でもある。でも、義父が亡くなり、普段は会わない親戚達と接したことで、自分の実家が珍妙で底意地の悪い人々の集まりだったことを、再認識してしまった。
採点しあうような(そして減点ポイントだけを血眼になって探すような)関係なんて、いらないんだ。
遺伝子上の関わりがあり、その中でも一番遺伝子情報が似通った人達。
それは単なる一要素であり、偶然の産物に過ぎない。私の人生後半は、それを自分に言い聞かせ、噛みしめ、消化していくようにしていきたい。