雑穀はロマン
というわけで、いま地元の、無農薬で米を作る活動に参加しています。
もちろんこれは一時的な活動ではなく、いずれ耕作面積を拡げて、収益化を目指して、稲作一本で十分暮らしていけるビジネスモデルを創り上げて、次世代に渡す、ってところまで目標にしています。
なので作ったコメは適正価格で売りつづけなければなりません。
しかし今は、人口も減り、小麦を中心とした主食たちにおされ、コメ自体が消費量を減らしている時代です。
この中でコメを売るにはどうするかなあと考えた時に、なんか、コメ食べたほうが良くね?というイメージを持たせるというか、そんな米食に価値を持たせるというか、文化作りを同時進行でやる必要があるような気がしました。以下Facebook過去記事。
2021年9月29日
生活(=生命活動)に必要なモノを、お金をかけずに、出来るだけ環境に負荷をかけずに、調達する、を基準に、食事について考える。
昔の人は米を大量に食べ、オカズは漬物程度(一汁一菜)で生きていた、と。
これで良いなら、安上がりだよね。
でも今の白米では、それができない。
なんでかというと、キレイに精米された白米には、「糖」しかないから。これ大量に食べたら死ぬから。
じゃあ玄米を食べれば良いのかというと、それもできない。
なぜなら、「ヌカ」の部分に集中して農薬が残留するから。
察するに、昔(江戸?)は、農薬を使わずに作られた、玄米を食べていたのではないかと考えたんだけど、あたっているかちゃんと調べてみると、意外と早い段階から、米は精米して食べるのが主流だったとのこと。
最大の理由は、玄米だと炊飯の時間とエネルギーがかかりすぎるかららしい。なるほど。
ただ、今のような完璧な精米技術は無かったので、多少ヌカが残っている「黒米」と呼ばれる状態の米だったらしいし、ヒエやアワなどの雑穀を混ぜて食べていたと。なるほど。
雑穀だね。
雑穀がカギだ。
雑穀を混ぜて食べることによって、一汁一菜が成立していたんだ。
一汁一菜ができれば、多分多くの人が食費を健康的に抑えられて食い繋ぐことができる。
その要となるモノが雑穀だと理解したので、来シーズンは雑穀やってみようと思う。
過去記事ここまで。
というわけで、一汁一菜って一回りしてカッコ良くね?健康的じゃね?忙しい現代の時短食じゃね?って方向に持っていくのが良いんじゃないかと思って、
NPO関係なく個人的に雑穀育ててみました今年。
さて雑穀育てるのってロマン、とある人は表現してます。それくらい、雑穀は無農薬栽培で農業するのが難しい。
その主な要因は『脱穀が機械化できてない』と『雑草生えると見分けがつかない=除草剤必須』の二つあると理解してます。
この中の、雑草生えたら終わりってところは、炭素循環農法でやればクリアできるんじゃないかと考えたんです。
炭素循環農法の説明こちら↓
細かい説明は上のブログ記事みてね。とにかく炭素比率の高い資材を土にすき込むと、キノコは生えど雑草の類いが一切生えなくなるんですね。これは去年(2021年)実証済み。
だから狙い通りにいけばすごく都合が良い。
んでやってみたのですが、忙しくて十分な高炭素材(雑草枯らしたやつとか)を用意できなかったorz
結果雑草は生えた。
といっても周囲のように埋め尽くさん勢いはなく、明らかに少なかったので、手で抜くで対応した。
高炭素材をすきこんだ効果は多少あったように思う。とはいえ、一畝だったから草取り対応できただけで、農業としてそこそこの規模でやってたらとても対応できるようなことじゃない。
来年は早い段階でご近所の竹林から竹チップを十分な量貰ってきて、改めてしっかり検証しようと思う。
そんなこんなで8月15日現在、そこそこ順調に育っているっぽい。
っぽいと言っているのは、初めて育ててるからどんな感じが順調かよく分からないため。
特にアワが元気に育っている印象。
以上のような状況のため、今年は来年分の種が確保できれば良いかな、と思っています。
脱穀については、こちらも一つ考えがあるので、やってみたらまたご報告します。
…といっても現時点でそんなに大して煮詰めてないのでやっぱり書いちゃう。
ザックリ方向性としては、興味ある人に、手作業で脱穀してもらって、そのまんま持って帰ってもらえば良いんじゃないかと。
そうすればこっちは大きな設備投資も要らないし、脱穀の労力はもちろん、郵送も梱包もしなくて済むからその分安く売れるんじゃないか?
どうせそんなデカい規模でやるつもりないし。米食の価値を上げて米売りたいが目的だし。
こっちのほうが経済的に苦しい人たちに届けられるんじゃないかなあと薄っすら考えています。
とにかく秋に自分で脱穀をしてみます。
そこでの気づきや学びがあればまたnoteにしっかり残していきますね。