ki_blog

私の波乱万丈の50年を書いています。 自分のペースなのでご了承ください。

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最近の記事

仕事がある有り難さ

コロナ倒産から約2年あの頃は仕事がキツく大変だったけど仕事がない今仕事のあるありがたみが分かった、食べて行くには仕事をしないといけないが50代、資格なし、独り身、だとなかなかしごとがない…私が住んでるところは人口6千人の離島、当たり前のように年寄りが多く、コンビニもない田舎です。まだまだ、働いて稼げる年齢ではあるけど、仕事がない…仕事のあるありがたみ…恨んでも仕方がないがあの頃に戻れるのならば戻りたい…毎日家にいると考えてしまう、マイナスな事ばかり…あの時ああすれば良かったと

    • 2年前の今日

      ちょうど2年前の今日、私のドン底人生が始まった日、18年努めた会社のコロナ倒産の日だ!年をとりボケてもこの日は忘れないだろう…突然の会社倒産を言われた日だ!前触れもなく突然言われた会社倒産…会社側からしてみれば仕方のないことだったのかも知れないが、10人ほどいた従業員達からしてみれば急に外に投げ出されてどうしたらいいのか分からない状況だった、まだ、良かったのは私以外の従業員は年金をもらってる人、旦那さんがいる人、生活には困らない人達だったことだ…私は住んでいた家も出され仕事も

      • 息子の扶養

        田舎の家探しは困難で「空き家バンク」と題して役場が管理している空き家を貸し出すと言う物らしい…都会の物件とは程遠く、間取り、写真が雑…さすが田舎だ!それも仕方がない…     移住、Iターン、Uターン、増やそうとやっているが「空き家バンク」の情報が余りにも雑すぎる、帰れるものなら帰りたいが家、仕事がない、田舎の知り合いに探してもらってもどっちとも今のところ情報がない…今まさに低所得者に3万円の給付金と言う話が出てるが、それも私からしてみれば羨ましい限りだ、子育て世代に給付金が

        • 田舎も厳しい現状

          コロナ倒産して田舎から出てきて2年になります。結局は無職のまま…しごとに就けず2年が経ってしまいました。色々と考え過ぎて精神状態が悪くなり、更年期障害、甲状腺の手術、も重なり、また、田舎に戻ることになりました。いざ戻ると言っても1から家を探さないといけなく、都会のようにアパート、マンションがあればいいのですが、住所に「字」が付くところなのでボロボロの空き家しかありません半年以上知り合いにあたってもらいましたが、10件以上断られました。空き家は数え切れないほどあるのに     

          挫折

          18年努めた会社がコロナ倒産して、家も会社が借りてた家を出なくてはならず、息子を頼って田舎から出ることになりました。それが2021年4月10日です。10ヶ月くらいは失業保険があったのでなんとかなりました。その間に就職活動をしていましたが結局20社くらい断られ職に就くことが出来ませんでした。50歳、資格なし、掃除や品出しの仕事しかなく、それも全滅…絶望的でした。眠れない夜が続きとうとう、薬を飲んでしまいました。一緒に住んでる息子にはとても迷惑をかけてしまい申し訳ないと思っていま

          コロナ倒産

          18年務めた会社が突然倒産しました。前日は普通にしごとをしていたのに…仕事場に行って突然「10時に来て亅としか言われず…10時に行くと従業員全員があつまっていて…スーツを着た知らない人から「明日でこの会社は倒産します。私物は今日中に持って帰って下さい。」みんな絶句でした。私1人会社が所有している家を借りていたので2週間以内に出てくれとの事でした。前もって言ってくれなかったのが凄くショックで社長さんにかける声もありませんでした。コロナ倒産です。独り身、50代、資格なし、…どん底

          コロナ倒産

          2020年3月30日

          私は45歳の時に離婚をしました。旦那の酒癖の悪さが原因で家庭内別居が10年続きました。その間に義理妹、義理母が立て続けに亡くなり、それを気に旦那は実家へ帰りました。その後、離婚をしました。私は田舎に引っ越ししてすぐ、パートで働いていました。子供も独立して、自分の給料だけでも、贅沢をしなければそれなりに生活ができていました。2020年3月30日いつもどうり出勤すると誰もいないのです。少しして同僚に電話をしてみると雇い主から 「10時に来て亅としか言われなかったそうで私もそうしよ

          2020年3月30日

          離婚

          東京にいたときは真面目に仕事も行ってたのですが田舎に引っ越してからは飲みすぎた次の日には無断欠勤ばかり、携帯が鳴っても無視していました。そんな暮らしが続き子供達が成長していくと家族関係にヒビが入るようになりました、それでも子供達はグレる事もなく田舎で暮らして20年、子供が社会人になった年に離婚をしました。

          酒乱

          東京では子育てに奮闘しながらも大きな出来事もなく普通に暮らしていました。田舎に帰ってからは旦那の仕事に変化あり、東京では夜遅くに帰り、朝は早いと言う時間に追われる毎日でしたが、田舎に引っ越してからは朝はゆっくり、夕方5時には仕事が終わり、お酒を飲む時間が多くなった結果、酒乱だと分かりました。田舎に帰りたくなかった旦那は酒を飲み酔っ払っていつの日にか私の悪口を飲んだ席で言うようになりました。

          地獄の始まり

          結婚相手は田舎の同級生です。十年を東京で過ごし、長女が喘息持ちだったのもあり、三十代で田舎に引っ越しました。そこからがまた、別の地獄の始まりでした。

          地獄の始まり

          新しい家族

          父と離れてホッとしたのもつかの間紡績を1年ちょっとで辞めまたまた、田舎へ…そこからまた、少しずつ父親のセクハラが始まり、すぐ、県外へ、19才で長女を出産、4人の子供に恵まれ順調に私なりの人生を送っていました。

          新しい家族

          父子家庭

          私達家族は父子家庭で母親のいない人生は色々と大変で恨んだ事もたくさんあります。父子家庭、いじめ、父親からのセクハラ、中学を卒業後私は働きながら学校に通える紡績へ行きました。

          父子家庭

          私の両親

          こんにちは、私の両親は私が小学校低学年の時に離婚をしました。原因は子供ながらに薄っすら覚えていて母親の浮気です。車で出かけたとき母がタバコを買い男の人に渡していたのを記憶しています。3人娘は父親に引き取られ父の田舎に越しました。あれから40年以上、母親とは一切連絡を取っていません。私が本当に両親の子なのか違うのか聞けないままです。

          私の両親

          少女時代

          おはようございます。前回の続きです。私はこの容姿で父親が違うであろうと思うようになりました。少し記憶が曖昧ですけど、小学生くらいから父親からセクハラみたいな事を少しされていて当時は思わなかったんだけど今思えば…が高校の時にわかりました。それは私が実の娘ではないからそんなことをしてくるのだろうと思い始めました。

          少女時代

          父がびっくり

          物心が付いた時自分の顔にコンプレックスがあり、姉、妹は普通の日本人の顔、私は髪の毛が金髪、目も青く黙っていたら外国人でした。私が産まれた時、父は私を見てびっくりしたそうです。子供の時はイジメも沢山あって死にたいと思ったことが数え切れないほどでした。

          父がびっくり