見出し画像

《2017年は娘道成寺と木ノ下くんのことを》

大学の後輩が始めた劇団がありまして。その後輩が木ノ下裕一くんというのですが、その子がたいそう古典芸能好きで、それを拗らせてできたのが木ノ下歌舞伎という劇団です。
そんな木ノ下歌舞伎に2007年だかに話があると呼び出されて始まった作品が【娘道成寺】。2008年にアトリエ劇研で初演を行い、こまばアゴラ劇場で上演し、2012年横浜、2013年チリで上演した後に2017年 1月にふたたび、こまばアゴラ劇場、アトリエ劇研で上演し、2018年は松本で、2019年は母校の劇場、春秋座で長唄生演奏で上演した。

そんな【娘道成寺】のことは、17年以降は上演ごとにコラムやインタビューがでてるので、それをお読みになってくださいに尽きます。

主宰木ノ下、思いを綴るーきたまりさん編ー
https://kinoshita-kabuki.org/2017/01/11/5012              【三番叟・娘道成寺】木ノ下裕一×杉原邦生×きたまり 鼎談https://kinoshita-kabuki.org/2018/06/04/6264             キノカブ版【娘道成寺】上演歴ー木ノ下の思い出キャプション付きーhttps://kinoshita-kabuki.org/2019/11/23/8126             京都芸術劇場 春秋座 studio21【娘道成寺】対談きたまり×中島那奈子                                 京都芸術劇場 春秋座 studio21ニュースレターVol.45 11月号木ノ下歌舞伎舞踊公演【娘道成寺】 http://k-pac.org/wp-content/uploads/2019/10/nl45.pdf

こうやって改めてみると、木ノ下くんは私の踊りに言葉を尽くそうとしてくれる奇特な方です。そういった文章をいつもこっそり読んで、特に本人には感想は言わないのですが、実は毎回「参った」と思っています。ちなみに木ノ下くんが書いてくれた文章で、もう棺桶に入れてくださいレベルの「参った!」を感じたのは2019年にドラマトゥルグを頼んだ作品【あたご】のパンフレットに寄せてくれた文章。「うわー、ずっと私の作品をしっかり見てる。」と目頭が熱くなりました。それ以来「言語化される悔しさ、けど心底嬉しいな、でも気恥ずかしいな」という気持ちが混ざり合って冷めないので、天邪鬼ながら今回は木ノ下くんには寄稿をお願いしませんでした。

あたご 木ノ下

2019年3月【あたご】当日パンフレット 寄稿文・木ノ下裕一

なので2017年はそんな木ノ下くんについて書き留めながら【娘道成寺】の話を。
後輩としての可愛らしさが(あるけど)、薄れてきて、いまや私にとってありがたみの地蔵菩薩のような立ち位置で、「きたさーん、こっちの道が歩きやすいですよー」と誘導してくれる。だけど私はその道を蛇行して歩いたり、途中で脇道に入るので、「まあ、いいですけど。でも、こちらに戻って来てくださいね。」と導いてくれる。創作においては基本的にそういうやりとりで稽古している気がします。

2008年と2012年あたりはお互い若かったこともあり、火花を散らしながら、時々喧嘩していたらしいのですが(実はまったく覚えてない)、2013年は木ノ下歌舞伎の初海外公演前に木ノ下くんが大怪我をしたから主宰不在でチリ公演をした。で、その際に多々思うことがあり、帰国後のお見舞い行ったときか退院後くらいに、静かに頑固に「もう次は長唄フルバージョンじゃないとやらないからね。」と伝えたような気がします。

画像2

2008年5月【娘道成寺】アトリエ劇研 撮影:Tomoaki Noda

それから3年後に、木ノ下歌舞伎から「今年は長唄フルバージョンでいきましょう!」「よし!」と始まったのが、今の【娘道成寺】。しばらくマーラー交響曲ばかり聞いていたから、久しぶりに長唄を聞いたら染み込むように耳に入ってきて、驚いた記憶がある。
いつのまにかマーラーは私の耳を鍛えてくれたし、【RE/PLAY(dance edit)】のリサーチでアジア各地の古典舞踊に触れる機会もあり、物語をベースにした音楽と踊り、成る、変化していくを前提とした古典の様式を理解し、再創作に着手した【娘道成寺】。ようやく蛇体に変化する女という大枠な物語の流れが腑におち、少女、遊女、老婆、人でないものを往き交いながら振りにして、身体に入れ、余白を作り、踊ることを整理することができた。
だけど2017年の公演はソロダンスで16ステージという未経験ゾーン、怪我したら終わり。白神ももこ【隅田川】/きたまり【娘道成寺】の二本立てで、どちらもソロ、なのでお互いの境遇を励ましながら踊っていたし、木ノ下歌舞伎のみんなも物凄く励ましてくれた。
うん。なんか思い返すと、ずっとなんだかんだで木ノ下歌舞伎が定期的に私を励ましてくれている気がする。木ノ下歌舞伎も昔と今では木ノ下くん以外の顔ぶれは違うけど、同じ時代に同じ大学で学び、卒業後はそれぞれ踏ん張って別々のフィールドで創作活動を続けてきた、木ノ下くんと【娘道成寺】で定期的に再会する。それだけの関係を当たり前のようにずっと続けていたが、これってかなり凄いことやな、と最近気づいた。そして木ノ下歌舞伎がどんどん大きく逞しくなっていることに、目を細くする。

画像1

2018年6月【娘道成寺】まつもと市民芸術館 小ホール 撮影:山田 毅 提供:まつもと市民芸術館


たまたま木ノ下くんが大学の後輩でよかった。そして【娘道成寺】というお題を勝手に決めてソロ作ってくださいなんて無茶振りをしてくれてよかった。昔のことはどんどん忘れて行くけど、最近では2018年の松本と、2019年春秋座の長唄生演奏バージョンは忘れられない。あれがあったから、まだこれからも踊れると思える、踊りたいと思える作品になったし、そういう作品を手放さずにできることはありがたい。普通は振付、演出、出演を全部お一人でお願いしますなんて、頼まないだろう。今の木ノ下くんはそんなこと頼んだりしないんだろうなぁと思うから、常識を持ち合わせない若い時代に、お互いめちゃくちゃだったのに、よくまあここまで。同じ時代に言葉にしにくい舞踊表現を分析し真摯に言葉で返してくれる存在がいることに励まされている。そして、励ましてくれる人には作品で返し続けないといけないことも自覚している。あぁ、大変。

画像5

画像4

2019年12月【娘道成寺】京都芸術劇場 春秋座 撮影:井上嘉和 提供:京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター
2020年12月「きたまり×倉田翠の伝蛇裸寿ラヂオ」#3ゲスト木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎)


いいなと思ったら応援しよう!