きたまり/KIKIKIKIKIKI
2024年11月2日、3日に京都・大江能楽堂で上演する『小町風伝』note ・きたまりインタビュー ・きたまりコメント ・応援コメント
きたまりのダンス歴20年を振り返るnote/ コロナ渦中の2020年「京都市文化芸術緊急奨励金」の採択事業として実施。
馬頭琴はモンゴルの伝統的な擦弦楽器で、弓も弦も馬のしっぽの毛を束ねて作ります。遊牧民の少年が愛馬の死を悼んで馬頭琴を作ったという民話は、絵本「スーホの白い馬」(赤羽末吉・大塚勇三福音館 1961)や国語の教科書などで、日本でもおなじみです。 実際の起源については諸説あるようですが、喉歌デュオ「タルバガン」の相方・等々力さんの研究によれば、モンゴル地域に擦弦楽器が現れるのは13世紀(元の時代)で、さらに「ヒル(弦の意)」や「イケル」と呼ばれる台形胴で革張りの擦弦楽器が文献に
太田省吾は、曇りの日のほうが物がよく見える、というセザンヌの言葉を好んで引用していた。 それにしても、〈曇り〉を描き出すことは、ダンスや演劇にとって、この上もなく難しい、永遠のテーマのようなものではないだろうか。 「晴れ」や「闇」は、意外と簡単だ。そして、多くの演劇やダンスは「晴れ」か「闇」に還元できてしまう。 〈曇り〉がとてつもなく困難なのは、〈曇り〉が一瞬として同じ表情にとどまることがないからだ。そこでは、さまざまなレベルの明るさと暗さが混在しながら、たえず変化する。 〈
きたまり / KIKIKIKIKIKI『小町風伝』公演詳細はこちら 2024年11月2日(土)3日(日) 両日とも17:00開演 会場:大江能楽堂 (京都市) チケット絶賛発売中!!
きたまりは、踊り作家だなとつくづく思う。 劇作家のように振付の一挙一動に魂とこだわりとあまたのリサーチからなる根拠を詰め込んで身体に落とし込む。 だからといって、ほとばしる身体の鮮度は保ったまま火玉のように踊る。 私が初めてきたさんに会って声をかけた時に『あの人を恨んでいる』と言った太田省吾氏のことをずっと掘り下げている(*)。愛じゃん。それ。 愛の火だるま=きたまりの生きた踊りを観るのが私はとても楽しみなのだ。(心の推しだからね) 白神ももこ(振付家、演出家、ダン
きたまりさんの舞台は舞台芸術研究センターの企画で二度ほど観たくらいだろうか。タイトルがすぐ出てこないのは申しわけないが、さいしょに会ったのは、何かの公演のアフタートークのあと、よく行く『猫町』で恩師の山田せつ子さんが連れてきたときだった。言葉はほとんど交わさなかったが、そのきたさんが、これも師にあたる太田省吾の『小町風伝』をダンスにするという。 この十数年、きたさんのような現代の舞台芸術に関わる人に多く接してきて思うのは、研究と創造、いわば帰納と演繹(えんえき)の関係であり、
太田省吾さんの戯曲言語を舞踊化するシリーズ2作目、『棲家』を拝見した時のことです。演目の後半、馬頭琴という楽器が奏でるワンフレーズが「お父さーん」と聞こえ震えました。セリフが発されない、楽器と踊りだけの舞台から不意に戯曲のことばが聞こえ、それを受け取れたように感じて感動したのです。この観劇の帰り道、「あれをされたら俳優はもう…。セリフを喋るってなんなんだ。」と考えこんだことを覚えています。 舞台俳優がもつ業(わざ)としてまずあげられるのは、セリフを喋ることだと思います。セリ
きたまりのダンスがぼくの身体中を駆け巡る 彼女の舞台が降り注いでくる きたまりが太田省吾に挑む 過剰なほど微か 退屈なほど劇的 革命的な当たり前 ドラマだ 絶望の希望の光の暗闇の手探りを確信せよ 一瞬の永遠の広大な窮屈を感じるのだ ねじれた空間の小さな綻びから 歯を食いしばった曲芸師が 奏でる分散和音 背中の眼が聴いている 幻を! 幻を!! 幻を!!! 天井を身体にする ダンスが! ダンスが!! ダンスが!!! 身体を楽器にする 響かせ 響かせ
踊りのことを言葉にするのはかなり難しい。 だから、私にできる限りの、きたさんの踊りを見ている時の私自身の状態を書こうと思う。 きたまりのダンスは、ごく小さな、または非常にゆっくりとした身振りや、ある態度(それは挑発的に見えたり悪態を付いていたりするように見えたりする)から始まる。こちらの身体が身構える。 そこから徐々に、エネルギーのようなものが溜まっていくのを感じる。「来るぞ」と思う。待ち構える。 何かの拍子にその小さな身体に溜まっていたエネルギーが放出され、リズムになり、
戯曲を素材に、振付を開発する ――前作の『老花夜想(ノクターン)』に続いて、太田省吾さんの戯曲を素材としていますね。 きた 太田さんの仕事をいろんな角度から見ていくと面白いテクストがたくさんある。『老花夜想』では、原作に登場する12人の人物を2人のダンサーで踊って、すごく大変だったんですけど、また台詞劇でやりたいなと思いました。戯曲を素材にすると、いつもとは違う振付を開発することができるし、ダンスが文学であることをしみじみ考えさせられる。そういう意味で、もうちょっと戯曲を
「小町風伝」は私が大学3回生の時の太田さんの通年授業の課題戯曲だった。私は前期の授業しか出席していないので、単位を落としたし、後期はどのように発表公演に向けて授業がすすんだのか知らないが、ヨガ、歩き、本読みを繰り返すのが前期の授業のすすみ方だった。 その授業ではゆっくり歩くことがほとんどで、どう歩くかなどの細かい指示は太田さんは口にしない、ただただ、ゆっくり歩く、それを太田さんが見る、その時間がとても長かった。その授業の中で、ある日、突然身体が宙に浮いているような経験したこと
創作にたどりつくまで ――今回は太田省吾さんの戯曲を題材とする新作です。太田さんは、きたまりさんが卒業した京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)映像・舞台芸術学科で学科長をされていましたね。 きた 太田さんと初めて会ったのは大学入試の面接で、扉を開けて挨拶すると、いきなり「挨拶はいいから、さっさとやって」と言われて……。でもその後、実技を披露すると太田さんはすぐにニッコニコになったんですよね(笑)。ちゃんとしていそうなのに何か変だな、新しいタイプの大人だなというのが最初の印象で
きづけば2021年3月31日。このnoteも2020年年内に終えるはずだったのに、なぜこんなことに。秋からおそろしく忙しかった。ときどき頭がショートした。 さあ、2021年1月。年が明けて2月に駒場アゴラ劇場で予定していた新作公演【老花夜想】を中止にした。この状況ではしょうがないと決断したのだが、自分でも不安になるくらい落ちこんだ。その落ち込みを回復させるには、踊るしかない。緊急事態宣言発令を受けて、東京公演を中止にしながらも、京都で踊っちゃう矛盾も感じた。もう完全に狂って
大学入学の際に京都に移り住んだ。古の都も、いまは地方都市だ。 京都はアーティストにとって住み良い所だ。稽古場はある。発表できる場所もある。だけど次につながらない、という絶望的な環境下でもある。次につながるとは何か、ここでのつながるは経済活動に発展するかどうかです。 経済活動に発展しなくても活動は続けられる。けど10代の時からずっと周りのすごい表現をしている人たちが、表現で生活をできないのが謎であった。その謎の仕組みはもうわかっているが、この謎の解決策は見えない。文化芸術でも
2019年は1月〈dBアーカイブ・プロジェクトvol.2〉黒沢美香&大阪/神戸ダンサーズ【ジャズズ・ダンス】アーカイブ・プログレス上演 企画運営メンバーとして動いていた。それぞれの想いを抱えて参加した人々と【ジャズズ・ダンス】という黒沢美香の振付作品をアーカイブ化する時間だった。死者は雄弁だ。生きている時よりもずっと多くの問いを、生きている人に残す。 3月【あたご】という舞踊作品を上演した。京都の郊外の地域をテーマに劇場作品を作る企画にオファーをもらい京
きたさんとのはじめての仕事は、2015年、きたさんが企画した「Dance Fanfare Kyoto」のプログラム「SYMPOSION(演出:多田淳之介)」に出演者として参加したこと。 私自身は、この機会に貴重な出会いを得て、その後にも大きな影響を頂いた。きたさんに、なぜこのような取り組みをしているのか、と問うと、「ダンサーの意識を変えたい」という短い言葉が返ってきた。創作者には様々なタイプがある。きたさんは、自らの創造環境のみならず、その背景となっている土壌についても早くか
2015年から「RE/PLAY(dance edit)」のアジアでの国際共同制作の為に、プロデューサーの岡崎さんと二人でリサーチの旅に出るようになった。実際に公演をしたシンガポール、カンボジア、フィリピンはもちろん、可能性を探してインドネシア、マレーシアと巡った。どこの国でも劇場には足を運んだ。どんなダンサーがいるかとチェックし、フェスの規模や観客の年齢層や外国人の割合、舞台機構の具合を視察しながら、政治と文化とお金の関係をヒシヒシと感じとり、時折その構図の歪みが見えると、心