《2015年からはマーラーに狂う》
「Dance Fanfare Kyoto」という大仕事をしながらも、ああ私も早く作品(カンパニー本公演)したい!とウズウズしていた。「Dance Fanfare Kyoto」参加アーティストの創作を誰よりも直近でみていたのだ。時折リハーサルを覗きながら、「なるほど〜」私やったらこうするな、ああするなと日々想像を膨らませるような刺激をうけていた。
たくさんの刺激をうけると人はどうなるか。残念ながら生易しいことにもう興味が湧かない。できることではなく、できないかもしれないことをやりたいと感覚が狂っていた。
そんな時、2014年の「Dance Fanfare Kyoto」に出演いただいた、アトリエ劇研ディレクターに重任したてのあごう(さとし)さんに「アソシエイトアーティストになりませんか?」と声をかけていただいた。「なる」と二つ返事で答えて、じゃあ今やりたいことはなんだろうと自問自答した。
2013年にカンパニーを休止した際に人との関係性を丁寧につくること。そして音楽・言葉・身体、この3点を自在に扱うことができなければ、私が求めるダンス作品は生まれないことは自覚し、いろいろと自分には足りないと実感していた。
カンパニーとして2007-2009年くらいの作品は音楽家との作業が多く、ダンス作品の為の作曲やセッションをよくやっていた。2010年−2012年は言葉を素材に振付をすることに固執していたし、方法がまだ見つからないが、いつかダンスで戯曲を扱いたいとずっと思っていた。あと、若い時に「作品に社会性をもちなさい」とよくいわれてきた。それはコンセプトやテーマをしっかりと言葉にしなさいというアーティストとして生きる為のアドバイスだった。私はどうもこの作業が苦手だ。企画準備段階で各申請手続きやオファーのためにダンサーやスタッフに伝えるのは問題ない。お客さんに伝えることが苦手だ。ダンスという非言語表現をやっているのに、このダンスのテーマはコレコレですと言葉で伝えることはどうも後ろめたい。それは嘘をついているような後ろめたさだ。言葉にしたはいいけど、その時点でもう身体がその先を思考することなんてザラにある。言葉は過去。身体はいつも未来をいく。社会に生きる身体を持って、舞台で嘘のない身体を差し出す。これが私が求めるダンスの社会性なんだろう。身体へのまなざしは一番大切だ。嘘をつかない身体の稽古。そのためには空間・関係性などいろんな要素が必要だと思い試行錯誤した。
2016年1月 マーラー交響曲第1番【TITAN】ソロバージョン /アトリエ劇研 撮影:あごうさとし
確か2013年だったと思う。カンパニーを休止直後の虚無感の中で、ただザッピングするようにいろんな音楽を聴いていたら、たまたまマーラーの交響曲第7番が流れた「なんだコレ」と耳につき、マーラーを聴き出した。「振り付けするのも、踊るのも大変そう」と感じた。
その後2014年にUrBANGUILDの「FOuR Dancers 」でマーラーをかけてソロで踊ってみた。びっくりした。音楽に身体が触発されてしまう、手が抜けない恐ろしさに痺れた。
「Dance Fanfare Kyoto」最終年度の2015年はダンスを始めて15年目の年だった。これまでの経験上ダンスを続ける難しさは嫌という程わかっているし、これからも続けることができるかどうかも自信がない。30代なんて一番ダンス辞める時期だろうし、辞めないためにも気づいたら40代になっていくような長期間の計画で創作に入りたい。だからマーラー全交響曲をやることにした。
あと交響曲をまるまる聞くことは一つの小説や戯曲を読んでいるような感覚に近いとも思った。いつか戯曲でダンスを作りたい。けど方法が今はわからない。でも交響曲を扱うことが、戯曲を扱うことに繋がるかもしれない。ピンときた。
あと、アソシエイトアーティストの期間中(3年)の作品テーマは絞った方が、創作的にも広報的にもやりやすい。いろんなことに手を出し続けてきたので、しばらくは一つのテーマで腰を据えたいとも考えた。
どうもおかしかった。他にも交響曲はある。だけどマーラーなのだ。ドヴォルザークやベートヴェンの交響曲はわかる。だけどマーラーの交響曲はわからない。だからやるのだ。ダンスを続けられる可能性をかけて、考えて絞りだしたのがマーラーだった。
2016年10月 マーラー交響曲第7番【夜の歌】群舞バージョン/アトリエ劇研
そこからはマーラー漬けだった。2015年はUrBANGUILDの「FOuR Dancers 」に出演するたびにマーラーをかけまくり、ワークショップを開催するたびにもマーラーをかけまくり、マーラーと対峙する身体を模索した。2015年4月のアトリエ劇研アソシエイトアーティストショーケースでカンパニー作品【スケルツォ】で交響曲第1番2楽章。
そして、2016年 1月交響曲第1番【TITAN】、10月交響曲第2番【夜の歌】、2017年8月交響曲第6番【悲劇的】、アトリエ劇研でマーラーを上演し続けた。そしてアトリエ劇研が閉館し、THATRE E9 KYOTOが開館した際の2019年 9月交響曲第2番【復活】を上演した。
2017年8月 マーラー交響曲第6番【悲劇的】/アトリエ劇研 撮影:長澤慶太
いまやもうマーラーに取り憑かれている。指揮者のバーンスタインが「ぼくはマーラー」と口癖にした気持ちがよく理解できる。遠い異国の100年以上前に亡くなった作曲家になんでこんなにも惹かれるのか。理由を問われるたびに、微笑みでかえしたくなる。説明としてはいろんな言葉を用意できるが、マーラーをやる理由に言葉を尽くしたところでつまらない。しかし、2016年の公演パンフレットに書き記した言葉は残していきたい。
わかる、わからないの問題ではなく、そこにダンスせざる得ない身体を存在させることが、マーラー交響曲で上演する理由です。それはダンスを続ける理由でもあります。
2017年8月アトリエ劇研と私。