《2000年はいつのまにやら踊っていた》
私が10代の時の大阪は文化芸術が華やぐ街だった。
家のある南海線の住宅地から電車にのって街にでると文化芸術が溢れんばかりにあった。それはもう宝石箱のようにいろんな種類のアートがごった返して眩しかった。
その中で、今はもう見る影も形もないが当時難波にあった廃校になった小学校を小劇場にする試みとして、2000年の春に精華小劇場コトハジメ(以下、コトハジメ)という企画があり、そこで募集していたボランティアスタッフに申し込んだのが、私がダンスといわれる身体表現とのダイレクトな出会いだ。
でも、まあそれ以前にカラダに興味を持ち始めていた気もする。
思い出すのは、そのちょうど1年前の1999年の春に天保山にあったサントリーミュージアムでの《ラヴズ・ボディ》という企画展。これは一生涯忘れられない展示。圧倒されて、頭が宙に浮くような心持ちだった覚えがある。
あと同時期に学校では絵画の授業で坊主頭をモチーフにした絵ばかりを書いていた。
当時書いていた、坊主頭をモチーフにした絵はこんなんです。
だからなのかコトハジメで由良部正美さんが踊っているのを見た時に、絵のモチーフが立体として現れた感じがして、無意識に合掌してしまうようないまだかつてないほどの興奮とありがたみを覚えたのだ。
だからといってすぐさまダンスをはじめようなんて思ってもいなかったし、なにかを始める時って理由がひとつってことはまずないし、いろんな出来事が重なっていって結果的にいつのまにかやっているもんだろう。ぼんやりとつい見入ってしまうカラダの魅力ってなんだろうな、とわけもわからず放課後になるとコトハジメの事務所に出入りしていた。
当時の私は非常に多感なお年頃で、心とカラダが直結しないような思春期特有の危うさを抱いていたんだろうと思う。その姿を密かに(この子は若いのに生命力を感じない…)と心配しながら見ていたdbの文さんが「若いんだから、カラダを動かしたら?」とすすめてくるので、身体表現講座を受けたのだ。
そういえば、当時のdbのチラシをみるとダンスを頻繁に身体表現という言葉で紹介していたので、なんやわからんけども身体表現おもろいと思いながら、精華の催しが終わってからは、当時は千日前にあったトリイホールで活動していたdbのボランティアスタッフになった。確か、私がトリイホールでみた初めてのダンスはニブロールの「東京プール」で、それからのトリイホールでのdbの公演は全部見ていると思う。そしていつのまにか、このよくわからない身体表現がダンスなのだと気づいた。楽しかった、よくわからないものが心に響いたりすることが楽しくてしょうがなかった。
初めて見たダンス公演のパンフレット。由良部さんを目の当たりにした日。
そしてどうやらカラダは使った方がいいらしいと気づき、たまたま手に取った〈花嵐〉という名のダンスグループのフライヤーに由良部さんの名前が小さくあったので、これに参加すれば由良部さんにお近づきになれるきっかけができるかも…と不純な動機と純粋にカラダを使いたいという興味でワークショップを受けにいったら10月に花嵐【果肉】という公演に出ることになり、初舞台を踏んでダンサーとしてのキャリアがスタートした。
この年は稽古場の京都芸術センターが開館し、本番会場のART COMPLEX1928も前年度に開館したばかりだった。どちらも古い建物がリノベーションされた文化施設で、その様子を見ながら精華小学校もこんなふうになるのかなーと思った記憶がある。
なんにせよ、なんか楽しいなと、無邪気に稽古場と劇場で踊るために大阪から片道2時間ちょいかけて京都に通ったなあ。で、この公演あたりからいつか京都に住みたいなあと憧れをいだきはじめていた。