《2019年からのメメントモリ》
2019年は1月〈dBアーカイブ・プロジェクトvol.2〉黒沢美香&大阪/神戸ダンサーズ【ジャズズ・ダンス】アーカイブ・プログレス上演 企画運営メンバーとして動いていた。それぞれの想いを抱えて参加した人々と【ジャズズ・ダンス】という黒沢美香の振付作品をアーカイブ化する時間だった。死者は雄弁だ。生きている時よりもずっと多くの問いを、生きている人に残す。
3月【あたご】という舞踊作品を上演した。京都の郊外の地域をテーマに劇場作品を作る企画にオファーをもらい京都の北西部にある愛宕山をテーマにした。
とにかく山に登ることにしたら、山に夢中になった。それと2010年頃から時間を見つけては寺社仏閣に民俗芸能を見にいく密やかな楽しみを続けていたので、【あたご】の為のリサーチを始めた時に、どうも気になってしょうがない嵯峨狂言の保存会の方を紹介してもらい、お稽古を見学する日々が始まった。嵯峨狂言の正式名称は嵯峨大念佛狂言。セリフを使わずに身振り手振りで上演する無言劇だ。無言で語られる物語の背景には仏教の教えや、当時の人々の娯楽性がつまっている。なので無言劇だけど稽古では随所でアテレコのようにしゃべっている。「ええっ、その身振りにそんな意味があるのか!」と心の中で叫びつつ、時間を見つけては清凉寺の境内にある狂言堂に通った。愛宕山や狂言堂に足を運ぶたびに、見知らぬ人や顔見知りになった人々と話をする。
今の話も聞くが、昔の話も聞く。生きていいる人が想う、ここにいない人。まるでその時代を見てきたかのように人、物、地域の話を聞かせてくれる。時折、今がどの時代なのかも、誰のことなのかも、死者と生者の境目もわからなくなる。
2019年3月【あたご】会場・京都市右京ふれあい文化会館、撮影:前谷開 ロームシアター京都×京都市文化会館5館連携事業 地域の課題を考えるプラットフォーム 「CIRCULATION KYOTO – 劇場編」
そのあと5月にヨーロッパに旅立った。開館したてのTHEATRE E9 KYOTOで、にマーラー交響曲第2番【復活】を使用したダンス作品の上演が9月に控えていたので、そのまえにどうしてもウィーンに行きたかったのだ。日本に住んでいるし、アジアのリサーチも重ねてきたので東洋の死生観や宗教観は肌感覚でわかる。けど西洋の死生観や宗教観が知識でしか捉えられてない。マーラー第2番【復活】を上演するのにこれはいかんなと思い、向かった。地方の田舎町では基本的に教会と墓を巡り、音楽の都ウィーンではマーラーゆかりの地を巡った。墓参りはもちろん、住んでいた家、息絶えた病院、結婚式をした教会、働いていた劇場、すごい!建物が現存している!と興奮した。ウィーンは街なので見るものが沢山あったが、偶然入った教会でのミサと、ウィーン楽友協会で聞いたマーラー2番の演奏は忘れられない。「これは絶対に100年前と同じ光景だ….!」とクラクラした。マーラー2番の指揮は佐渡裕だった。音楽によって、国境も国籍も時代と共に境目がなくなる光景が目の前にあった。
オーストリア/シュタインバッハにある、マーラーの作曲小屋から見える山
そのまま、前年に引き続き中国雲南省の麗江にいったり、香格里拉にいったり、7,8月は韓国にも行った。そうだ、2018年に引き続き、2019年は旅をよくしていた。これはセゾン文化財団の助成金をもらったことでできたことだ。韓国は京都芸術センターとソウルダンスセンターの交換レジデンスプロジェクトに選んでいただいて実現した。
中国/麗江の山々、一番奥が神の山といわれている玉龍雪山
旅をすると、民族と文化の違いがよくわかるし、同じであることもよくわかる。その土地で神さまが変わるし、家の形も変化する。だけどあっちでもこっちでも信仰している何かがあって、食う寝る出すを基本に生きているし、元を辿ればみんな精子と卵子なんだから、おんなじようなものだ。その土地の信仰と音楽と踊りに身をひたすのは心地よい。どれもその土地の死者、先人がつくってきたものだ。なので、ただただ先人たちはすごい。だからこそ死者になった先人を巻き込みながら、いま生きている人ともっと作品を作りたいと思った。
2019年 8月 【復活】ワークインプログレス@ソウルダンスセンターの様子