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視線の先
初老に見える男性が、朝、何もない歩道に佇んでいるのを見かけるようになった。
車道を向いて立っているので、最初は、開放的に小を催しているのかと思った。
でも、そんなこともなく、荷物を足元に置いて、ただ車道の向こうを見つめている。
今日、視線の先を見て、やっと分かった。
車道と線路を隔てたその向こう、山間のお寺を見ている。
焦点は、間違いなくそこに結ばれている、と、根拠はないが確信した。
ならば、色んな経験をしたであろう年齢の人間が、来る日も、遠くからお寺を見つめて佇む時とは、どんな時だろう。
何となく、未来や願い事や希望に関することではないように思える。
行動の選択肢の中で、もう、ただお寺を見つめるという選択肢しか残っていなかったのだとしたら。
一体何があったんだろう。
ただ信心深いだけならば、その場所まで行けばいいじゃないか。
とはいえ、分からないことを想像して、無駄に感傷的になって、
ありもしない物語を垂れ流しても仕方ないか。
なんとなく気になる光景。
どこの誰だか知らないが、幸あれ、と思ってしまう。
立ちション疑惑を持ったことについては、侘びたい。