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ラ・ボエームの思い出

18年前に、57歳という若さで、癌により世を去った母は、若い頃オペラ歌手だった。

母が大好きだった歌手は、ミレッラ・フレーニ。
好きだった作曲家の一人は、プッチーニである。

と来れば、代表的な役柄は、ラ・ボエームのミミ。

母の青春時代といえば、1960年代から70年代。
フレーニが若くして名声を博していた時代ではないだろうか。

そんなことをふと思い出し、YouTubeでラ・ボエームを検索したら、
1965年録音・録画の、ラ・ボエーム全曲の動画が出てきた。

詩人ロドルフォと出会い、初々しく自己紹介するミミの、なんと可憐なことか。

自分が大学生だった時分に、母の発声練習に付き合って、「私の名はミミ」をピアノ伴奏していたのを、
懐かしく思い出しながら聞いていたら、
図らずもじんわりと涙が出てきてしまった。

母は、若い頃オペラ歌手だったが、
兄が出産時の事故で酸欠に陥り、結果、重度の障害者となったことで、きっぱりと歌の道を諦めた。

魔笛の天使の役で、新聞にも絶賛されたことのある実力の持ち主だったと聞く。
そんな、前途明るい道を、我が子のために手放した。そんな強い母である。

でも、やはり歌のことはいつも、心の何処かにあったのを、私は知っている。
どれだけ練習に付き合って、ピアノを弾いたか分からない。
いつか、家族のことが落ち着いたら、プロとしてでなくても歌いたい、と、そう思っていたんだろうと思う。

一番近くで母の声を聞いていたから、その美しさは保証できる。
声量もすごかったけど、澄んでいながら深い、魅力的な声のリリック・ソプラノだった。

これは決して、家族の贔屓目だけではないと思う。

そんな道半ばで、母は病に倒れた。

YouTubeで1965年のフレーニを見ていて、その声を聞いていて、
どうしても、ピアノの前で聞いていた、あの母の声とダブってしまう。

もしかしたら、若き日の母は、この録音を聞いて、オペラを志したのかも知れない。
手本にして、アリアを練習したかも知れない。

高音のピアニシモの歌い方なんか、よく似ているじゃないか。

何とも言えない気持ちになりながら、ただただ動画を眺めていた。

ラ・ボエームは、ミミが病魔に侵されて、事切れたところで幕を閉じる。

曲の最後は、ロドルフォの劈くような叫び声。ミミの名を二回呼ぶ。

でも、ふと思ったことがある。

ミミは、ロドルフォに出会わなかったら、一人さみしく病魔に侵され、世を去っていたのではないか。
ロドルフォに会ったから、最後の瞬間を、一人きりではなく、愛する人に囲まれて過ごせたのではないか。

だから、ミミの死は確かに悲劇なんだけど、
ミミの人生は、ただの悲劇ではないように思う。

何となく、そんなことを、母の人生にも重ねてみたいと思ってしまう。
悲しい人生だったか、幸せな人生だったか、それは私があの世に旅立って、また母と邂逅したときに、
本人に聞いてみるしかないのだけど。

ラ・ボエームを聞くと、そんなことを思ってしまうんです。