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私が嫌だと思うあの人も、私の一部分

今読んでいる本の表現に心打たれた。

自分が嫌だと思うあの人の行動も、
実は自分の一部。

最初は、まさかぁ!そんなわけないし、そんなこと思いたくもないって思った。だけど読むうちに心当たりが多くなっていって、腹落ちしてしまったのだ。


自分がこうありたいと願って行動したり、しようとしていることは表層心理。

逆に目についてしまう嫌いなあの人の行動は、深層心理の中の、本当は私も必要でやりたいことだけど、できないことなんだって。


私は自分の意見をとにかく声高に言う人が苦手

今の私が目につくのは、自分の意見だけが絶対って顔して声高に言う人です‥(笑)

だけど、ふと我に変えると、それってじぶんがうまくできなかったことだったかもって気付きました。
人の顔や場の空気を壊さないように、適度に言葉を埋めていく、作業を頑張っていて。

周りの目線とか考えずに前へとにかく出て行くことができなかった。というか、今も苦手です。

‥、というより、もっと昔、学生のころは、むしろそういう行動をとっていて、その後環境がかわったら立ち行かなくなったっていう経験があるので、そこからくる感情なのかもしれません。

私だって言いたいのに、あなたばかりずるい

→あの人自分の子ばっかりで苦手だな。

いつのまにか脳内変換されていると言うことのようですね。

人の感情には必ず自分が選択している目的がある。

アドラーで学んだことを思い出しました。


これらの論理で自分を「責める」のではなく、もっと「自由」に幸せになるために使おう。

そんなことを考えた夜でした。

🖋あとがき

ここまで記事を読んでくださった方、ありがとうございました😊

よかったら、ほかのエッセイや読書ノートも目を通してもらえたら嬉しいです!

< 自己紹介 「7つの習慣と教師とわたし」>



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