『我々はどのような生き物なのか――ソフィア・レクチャーズ』
チョムスキーの言語学と政治社会思想について一冊の本で扱われています。途中まで、読んでいてその内容の価値のみを見出していましたが、最後の編訳者による解説を読むことで、このような本が刊行されて良かったな、と思いました。その内容の意義が見出されました。本の主部分は講義録であり、既に公にされたものですが、こうして本になって、私のようにその場にいなかった人にも時と場所を越えて届けられた、その届けるだけの意義がこの本にはあります。
私は学問的な立場としてはチョムスキーに糾弾される方でしたし、その理論も理解できなかったり首肯しかねる部分もあります。以下はそれを踏まえた上で書きます。
チョムスキーが研究対象とする「言語」は、呼吸器官の振動や身振りといった外在化を本質の外に置き、言語や普遍文法はそうした外在化とは独立して存在する(すなわち外在化の特性によって影響されない、少なくとも依存しない)ものであることがその基礎に置かれます。その上で、言語は人間が種として備えている能力であると捉えています。
一方で、「自由」まるでそうした「言語」と対象として対置されるような外在化とは独立した人間の持つ特徴と捉えています。アダム・スミスは今日のネオリベラリストを含む経済学の基礎を築きましたが、その一方で分業について批判しています。これはリカードの比較優位というこれも今日では当たり前に理解されている理論に照らし合わせると意外ですが、啓蒙思想家としてのアダム・スミスにとっては、封建社会から逃れて自分が志向したところに行動できる自由の重要さを唱えることとは矛盾しません。ネオリベラリストにより外在化される現象を越えて、自由を唱えられることにこそチョムスキーにおける人間の尊厳があります。
そして、この言語と自由は人間を規定するに欠くべからざる特徴であり、言語は人間の自由を支える一要素であるでしょう。このようなチョムスキーの思想が結実し、そう重くない1冊の本にまとまっています。結局は自由及び人間が自由であることの理由と意義について書かれた本です。読むことで、チョムスキーの思索に触れると同時に自分の新たなる思索が開かれることでしょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?