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湖南市選挙解説・秋の陣(その13)総選挙公示
今日からフェーズが変わりました。衆議院議員総選挙が公示されたのです。湖南市では選挙区割りが変更され、これまでは近江八幡市や東近江市と同じ旧滋賀県第4選挙区だったのですが、これからは甲賀市とともに、草津市、守山市、栗東市、野洲市と一緒になり、新滋賀県第3選挙区へとお国替えとなりました。
政治地盤としては大きな変化が生じ、これまでの旧第4選挙区から選出されていた小寺裕雄代議士は比例選挙区へ転出し、湖南市、甲賀市へは旧第3選挙区から武村展英代議士が出張ってくることとなりました(いずれも自由民主党)。また、旧第4選挙区で落選して比例復活していた徳永久志代議士は、所属していた立憲民主党を除名され、解散と同時に日本維新の会入りし、出身が近江八幡市だけに新滋賀県第2区へ転出して行きました。
その結果、新第3選挙区では、前職の武村展英候補に加え、出路真吾候補(日本維新の会)、佐藤耕平候補(日本共産党)、北野裕子候補(参政党)の4人が出馬することとなりました。立憲民主党や国民民主党のような連合滋賀が支援する候補を擁立することができず、これらの票が宙に浮いてしまったのは大きなインパクトを与えることになります。
この原因は、昨年4月の統一地方選挙前半戦での滋賀県議会議員選挙において、現職の塚本茂樹候補が落選したところから始まっています。今日、塚本陣営に入っていた人から聞いた話として、連合滋賀議員団を僭称している労働組合運動を理解していない市議に陣営の主導権が握られてしまい、塚本候補本人の希望はかなえられなかったとのことでした。
ウグイスを街宣車に乗せずに市議たちが自分の選挙地盤を自分たちの名前を連呼して回っていたということで、いつもはイケイケだった塚本候補は何も抗議できないまま、地元で余り支持されていない市議の名前を連呼されて、「事務所内は地獄やったわ」というリアルな話を伝えられたのです。ここから3つの影響が生じていきます。
ひとつは、落選した塚本候補は、対立候補であった日本維新の会の柴田栄一候補の勢いに目がくらみ、その後、塚本候補を支援していた立憲民主党の徳永久志代議士の秘書となるとともに、徳永代議士ともども立憲民主党を離党しようとして除名され、教育無償化を実現する会を結成し、最終的に衆議院の解散に伴い徳永代議士ともども日本維新の会に参加、徳永候補は滋賀県第2選挙区から出馬するに至りました。
次に、ややこしいのですが、県議選のときに立憲民主党である塚本候補を支援していた人物に自由民主党甲西支部長の生田邦夫湖南市長がいました。自民党の不倶戴天の敵である嘉田由紀子参院議員とともに呉越どころか仇敵同舟のところ、実は水面下では通じ合いながら選挙をしていたという何とも有権者をバカにした政治姿勢を示していました。その生田市長は引退を表明して後継者として湖南市の前教育長を市長選に擁立しています。
さらに、その前教育長の陣営には、塚本陣営でド素人の選挙を展開して塚本候補を大いに落選させた連合滋賀議員団が陣取っているということなのです。奥村幹郎市議は「連合の推薦なんか申請せんわぃ!」と叫んで連合滋賀を怒らせましたが、その結果、連合のみなさんが股割きにならずにホッとしただろうということはすでに報告しました。
そもそも告示10日前に連合に推薦申請をしようとするところからして「組織」というものを知らないポンコツさなのですが、4年前には《谷畑市政の現状及び評価について》と題して連合内に「私的趣味による行動・政策等目に余るものがある」「市長の地位にしがみついている」「市長終了後の「就活」をされている」などと悪口三昧を流布していました。そうそう、その文書は奥村展三氏も連名でしたが、こういうのを「悪口」「陰口」というのです。
とりわけ塚本陣営にいた堀田繁樹市議については、今回の市長選挙に際して、「谷畑を絶対に落とす。前回のリベンジや」と豪語していたという情報が寄せられましたが、意味が分かりません。前回は私が不出馬を表明した翌日に野合組織「チェンジこなん」を結成して、何をチェンジさせるのかわからないまま生田邦夫市長を誕生させ、4年間の湖南市の衰退を招いたわけですから。
連合滋賀の関係者は、「前回の市議選のとき、800票しかなかったくせに、そのうち600は確実に連合から出しており、下手したら800全部組合員の票じゃないかと思うが、あいつは顔を合わせても会釈ひとつしない」とお怒りで、次の選挙では推薦どころか敵対しそうな勢いだという情報も寄せられています。
そういえば、堀田市議は私の元部下で私の地元と同じ集落なのですが、市役所を辞めて最初に選挙に出るときには、まったく地域のみなさんに受け入れてもらえなかったため、「市長、どうしても後援会の設立総会に来てあいさつしてください。お願いします」と泣きついたことや、最初の選挙でなかなか票の最終確定が出ず、10票差で最下位当選できた「魔の3時間」で肝を冷やしたはずですが、そのときの5票は地元だからという仏心を出した我が家の票だったということは理解できていなかったようです。
政治というのは信用に始まり信用に終わります。できるだけ怨念を残さないようにノーサイドを心掛け、来るもの拒まず去るもの追わずで来たため、逆に4年前には新型コロナウイルス感染症対策に全力で傾注している最中に野合勢力に背中から撃たれるような隙を見せたことを市民のみなさんに対して大いに反省し、今回はしっかりと選別をしていこうと考えています。
そういえば、旧民主党元代議士と自由民主党が国政選挙で野合できるわけもなく、本日の前代議士武村展英候補の動きは合理的であったと言えます。いくら後継指名をしたからと言え、嘉田由紀子や徳永久志と一緒に立憲民主党を支援した生田市長に従って旧民主党元代議士とつるんでいては、ただでさえ逆風が強い国政自民党は死にそうになるに違いないからです。国政野合は命取りになるでしょう。
ところで、本日から衆議院議員総選挙が公示されたことから、政治活動は禁止となりました。6日前、前教育長に出馬表明をさせた人々はそれを本人に伝えたのでしょうか。私の陣営は昨日までにすべての準備を終えて、市長選挙の告示を俟つばかりです。本日は選挙事務などの内部対応をするとともに事務所への来客対応もしていました。
来客のうち、堀口達也彦根市議会議員には選挙に向けていろいろと仕掛けをしていただけることになりました。また、和田裕行彦根市長の為書きも持参してくれました。そのほか、為書きを送りたいからと各地からも問い合わせが相次ぎ、臨戦態勢は着々と進んでいきます。明日も事務所でみなさんをお待ちしております。
一人ひとりの選択が湖南市の未来を変えていきます。