【湖南市選挙解説⑤】選挙準備を観察する
安倍晋三元首相がテロリストの凶弾に倒れるまでは多くの不都合な真実がありました。昨日は、そういう厳しい冬の時代に時の権力者である菅義偉首相を揶揄したブラックユーモア映画『パンケーキを毒見する』を、何とはなくアマプラで見ていました。
映画『新聞記者』を手掛けた河村光庸氏が企画・製作・エグゼクティブプロデューサーを務めていただけあり内容的にはそういう感じでしたし、それなりにシニカルな笑いはありましたが、そこからの危機感がうまく伝わってきたとは思えませんでした。
直近の選挙について振り返ってみても、滋賀県議会議員選挙まであと2日を残すのみとなりましたが、どうも湖南市内では選挙ムードが盛り上がっていません。これではますます投票率が落ちてちゃんとした政治参画や候補者選択にならないことに気がつきました。
そこで、いったい湖南市内の選挙準備はどこまで進んでいるのかについて、観察することにしました。一昨日、日本維新の会の藤田文武幹事長が街頭演説に入りましたし、塚本茂樹県議の県政レポートが新聞広告に挟まっていたことに、昨日、気がつきました。今朝は菅沼利紀県議の写真が載った「自由民主」号外が届けられました。
26日には塚本陣営の決起大会がサンヒルズ甲西で開かれ、嘉田由紀子参院議員、徳永久志、斉藤アレックス両代議士、奥村展三元代議士に加え、生田邦夫市長が応援演説に駆け付けました。
その「塚本県議を先頭に」とアナウンスしながら「チームしが」のスピーカーを積んだ軽自動車が奥村幹郎市議の運転で市内を回っています。先日は菅沼県議の「自民党青年局」の街宣車が大島正秀市議の運転で巡回していました。
湖南市内は甲西、石部、甲西北、日枝の4中学校区に分かれています。それぞれ合併前の旧町村に相当します。甲西中学校区は三雲東、三雲、石部中学校区は石部、石部南、甲西北中学校区は岩根、菩提寺、菩提寺北、日枝中学校区は下田、水戸の各小学校区が属します。
湖南市選挙区は定数2で、4人が名乗りを上げています。もともと自民党の生田県議と民主系の塚本県議が談合をして無投票を重ねてきました。生田県議と塚本県議が野合して市長を追い出し、生田県議が市長に収まった後、菅沼市議が無投票で自民党の県議になりました。
生田市長は藤川みゆき市議の夫の藤川人志樹氏を擁立して定数2を自民党で独占しようとしました。野合して生田市長誕生に貢献した塚本県議は良い皮の面です。しかも塚本県議と同じ下田小学校区からの出馬ですので、これまで無投票で来たツケが回ってきました。
しかし、藤川市議が属していた自民党系の令和会は、自民党公認の菅沼県議の対抗馬として藤川氏が擁立されたことに反発して、藤川市議を会派から追い出しました。これは公認の菅沼県議以外の候補を応援した場合、自民党に対する「反党行為」に該当するというブラフでしょう。
確かに昨年12月の茨城県議会議員選挙では、自民党公認以外の保守系候補を応援した人に党籍停止や役職辞任などの声が上がっていました。生田市長も菅沼県議の3連ポスターに縛り付けられて身動きが取れなくなっており、自民党内の世代交代が進みそうです。
一方、こうした野合に反発して10日前に出馬表明したのが日本維新の会の柴田栄一市議でした。柴田市議は菩提寺北小学校区ですが、学区全体が市外から移住してきた新住民中心の新興団地で構成されています。菅沼県議は菩提寺小学校区の旧集落出身です。
すなわち、4中学校区のうち、甲西北中学校区に菅沼県議と柴田市議、日枝中学校区のうち下田小学校区に塚本県議と藤川氏という分布になっています。湖南市は東西に流れる野洲川で南北に分断されていますが、両中学校区は川の北半分にあたります。
すると、野洲川の南半分はどうなっているのでしょうか。南には甲西中学校区と石部中学校区があります。そのうち甲西中学校区は三雲東と三雲小学校区に分かれます。三雲東小学校区には湖南市ピラミッドの頂点に君臨してきた奥村元代議士がいます。
奥村元代議士は三雲東小学校区の東端・三雲区の旧東海道沿いに邸宅があります。自宅周辺に塚本陣営の幟旗は確認できませんでした。奥村元代議士の選挙の際に参謀として駆け回った塚本県議に対する支援体制はどうなっているのでしょうか。
奥村元代議士の事務所長でもあった松原栄樹元市議会議長のテリトリーである三雲区の立志神社周辺にも塚本陣営の幟旗は見えません。奥村元代議士の秘書も務めた奥村幹郎市議は塚本選対で活動していますが、三雲区の西隣の吉永区にも塚本陣営の幟旗はありませんでした。
旧東海道から南に分かれたところに妙感寺区がありますが、令和会の上野顕介市議会副議長の実家近くに各陣営の幟旗は確認できませんでした。しかし、上野副議長が石部南区で車を運転している姿を目撃しましたので活発に活動しているようです。
なお、三雲区と吉永区の境にあたる草津線踏切の北の空き地に藤川陣営の幟旗が立っていました。旧東海道沿いの吉永区にも1カ所に同じ幟旗が確認できましたが、この薄水色の幟旗は生田市長が県議時代に使っていたものと同じ色なので、生田市長が支援しているということが関係者にわかるようになっているようです。
旧東海道を西に向かえば三雲小学校区です。夏見区、針区、平松区、柑子袋区という、湖南市で過去から地域政治家を輩出してきた地域ですが、針区で空き地に1カ所、藤川陣営の幟旗を見かけただけで、ほぼポスターもなしという異常な静けさでした。みんな布団を被っているのでしょうか。
甲西中学校区では市役所周辺の中央区に菅沼県議の事務所があります。事務所前には陣営の黄色い幟旗3本と紺色の自民党青年局の幟旗があり、ガラスというガラスには小寺裕雄代議士、生田市長、菅沼県議の3連ポスターが貼り尽くされていました。
そこから裏に回ってみると、生田くにお事務所があります。巨大な髭面の生田市長の写真が道路に向いて貼り出され、赤い自民党の幟旗や岸田首相のポスター、自由民主党甲西支部の看板が立っていました。
石部中学校区に入りましたが、東寺区、西寺区は静謐な様子でした。大島市議のテリトリーである石部南区では幟旗は見かけませんでした。新興団地の宝来坂区では赤祖父裕美市議の自宅に塚本陣営の幟旗が1本立てられていました。赤祖父市議は連合議員団ですが、最初は塚本県議支援を避けていました。選挙が近づいてきて少し前向きになってきたようです。塚本県議を連れてあいさつ回りをしている姿が目撃されています。
石部宿の中心部に来ると旧樹々という喫茶店跡に自民党関係の政治活動看板(菅沼県議、小林義典前市議、曽我部一帆氏)と自民党青年局の幟旗、そして菅沼陣営の黄色い幟旗が多数掲げられていました。黄色の幟旗は県道停車場線を東に移動したところでも目撃できました。菩提寺と石部はつながりが深いので菩提寺出身の菅沼県議は容易に展開できたのでしょう。
それでは旧石部は黄色一色かというと、旧東海道では大継健三元市議の大継呉服店に藤川陣営の薄水色の幟旗が林立していたのをはじめ、旧しまこう跡や県道石部停車場線沿いに藤川陣営の幟旗が立っていました。大継呉服店は民主党系のポスターを一新しての易幟となります。これは下田小学校区の藤川陣営が石部進出を試みているということです。
県道草津石部線の草津線踏切南側に立つプレハブに藤川看板と藤川陣営の幟旗が立っています。このプレハブが選挙事務所になるようです。無人の事務所の中には県外の親戚から送られたという胡蝶蘭が並んでいました。旧国道1号沿いの石部北では甲賀高分子の社有地に藤川陣営の幟旗が立っていました。
候補予定者のいない野洲川の南側では、菅沼県議の得意とする石部地域では藤川陣営が甲賀高分子と大継呉服店を橋頭保に浸透を図ろうとしている様子が見えました。塚本陣営を支援する主力労働組合としては日本精工がありますが、あまり目立った動きは見えませんでした。
それでは野洲川の北側はどうなっているでしょうか。甲西北中学校区です。岩根小学校区ではその東端の岩根中央に塚本県議の事務所があります。鍼灸院の跡ですが、緑に黄色線の入ったたくさんの幟旗が2階立ての建物いっぱいに立っているばかりか、柵にも幟旗が林立しスカーフがたくさん巻き付けられており、ここだけ周囲の風景に馴染まない異様な雰囲気を醸し出しています。
事務所には白地に青文字で立憲民主党やチームしが、「もっと良い未来へ」というあいまいなスローガンの書かれた幟旗、塚本県議と甲賀市選挙区選出の田中松太郎県議との2連ポスター、立憲民主党のポスターなどが貼られていました。
そこから西へ向かうと、堀田繁樹市議会議長の自宅があります。その周囲には塚本陣営の幟旗が林立していました。地元の岩根東区の長老たちは堀田市議が連合議員団に入ることにもよい顔をしていませんでしたが、立憲民主党のポスターも貼られていました。
さらに岩根小学校区を西に向かうと、岩根西区で菅沼陣営の黄色い幟旗を見かけました。ここはいつも菅沼県議を応援して幟旗を立てています。それ以外、花園区、正福寺区と観察しても県議会議員選挙に向けた準備がまったく見当たりませんでした。
菩提寺には菅沼県議の自宅があります。少し高台にある菅沼県議の自宅には黄色い幟旗が立てられており、遠目に見るとまるで菅沼城が出現したかのようです。旧菩提寺区では菅沼陣営の臨戦態勢を確認することができました。
そこに突如出現したのが、日本維新の会です。菩提寺小学校の近くのビルに柴田市議の事務所が開設されました。柴田市議と吉村洋文共同代表との2連ポスターが貼りだされています。事務所は電気が点いていましたので、一昨日、藤田幹事長が突然湖南市にやってきたようにサプライズを練っているのでしょうか。
最後は日枝中学校区ですが、水戸小学校区の新興団地である湖南工業団地自治会には選挙の兆しが見えませんでした。下田小学校区は塚本県議と藤川氏の地元です。ここは特に激戦になっているのではないかと予想されました。藤川陣営では地域でミニ集会を着実に重ねているようです。
ところが、下田商店街には藤川陣営の幟旗が認められませんでした。市民グラウンド近くと県道165号線沿いに1カ所、藤川陣営の幟旗が確認できましたが、さらに連合の金城湯池であったはずの松風苑団地の入り口に藤川陣営の幟旗が立ち、団地内に塚本陣営の幟旗がないのには驚きました。また、中山区や堂の城区にも塚本陣営の幟旗は見られませんでした。
そういえば、藤川市議の父親とあいさつ回りをしている藤川氏は「選挙に出てくれと言われた」と出馬意図を語っていたようですが、それを教えてくれた人は、「夫婦で議員とは何を考えているのか」とため息をついていました。確かに、私が選挙に出るときには私の父親は議員を引退しました。上野副議長の母親も同じように議員を引退しました。
そして、最後に塚本県議の地元大谷区では、藤川陣営の幟旗を3カ所確認しただけで、塚本県議の自宅周辺にも塚本陣営の幟旗が立っておらず、半日で見廻れる範囲では、まったく静かな選挙準備の状況であるという感想を持ちました。
全域を確認してみて、見落としているところもあるかもしれませんが、奥村元代議士と岩永峯一元農水相が血で血を洗う戦争をしていた頃には親戚や地域や団体が総動員され、集落の入り口では一斗缶に火を焚いて出入りを監視し、家々の軒先だけでなく田圃の真ん中にも幟旗が掲げられて面的占領を宣言していたものでした。
そうした動員に嫌気がさした湖南市では、選挙自体に拒絶反応があるように見られます。各陣営とも支える人の確保に苦心しているようです。まるで家内制手工業のように身内だけしか動いていないように見えます。候補予定者4人が出ている菩提寺や下田ではなく、石部の中心部だけが主戦場になっていました。
しかし、いつまでも過去に目を瞑っていても未来は拓けません。若い市民のみなさんも含めて、政治家の裏も表もしっかりと見透かしたうえで、よりよい選択をしていくために知恵を磨いていく必要があります。
(2023年3月28日)