「鬼滅の刃」が作品として評価されることはもうないかもしれない。
鬼滅の刃の映画の興行収入が、400億円を突破しましたね。
煉獄さんは100億ではなくて、400億の男になったわけです。
友達が16巻ほど一気に貸してくれた鬼滅の刃に、まあ見事にドハマりまして、大学でも空き時間で読みまくりました。17巻から発売日に買い集めるようになり、いつまで経ってもそれ以前の巻を買おうとしない私に妹が痺れを切らし、自分で買って母親ともどもまんまとハマるまでにそう時間はかかりませんでした。
そんな私、いや家族なので、映画化もその成功も素直に嬉しい。2回観に行って、制作陣の熱量の高さとクオリティの高さに感銘を受けて帰ってきました。
さて、同時期、大学のリスニングの授業を取っていたのですが、素材のニュースに鬼滅の刃が取り上げられました。興行収入のこと(ちょうど100億円の大台にのる前後の話だったので)だけでなくて、漫画のあらすじやヒットにはコロナが影響しているかもしれないなどなど、短い割に充実した内容で、「世界の関心も高まっている…!!」と胸を躍らせたのを覚えています。
そこで授業の合間に先生が一言。
「これ流行ってるみたいだから友達と観に行ったけど、そんなに面白くなかったのよねえ」
「なんかいきなり始まっちゃって、内容についていけないまま終わっちゃった。」
そりゃそうだろ!!!!!
いや、別に面白くないのはいいんですよ、でも原作の続きからなのは事前情報があったし、分からないとしてもそれを作品の評価と結びつけるのは違うでしょうが!!!
とその時はただただむかむかしていただけなのですが。
歴代興行収入ランキング1位を獲得してから情報が途切れ、そして先日400億円のニュースをやや冷めた目で見て思い至ったのが、
「もう誰だって、あの先生のような目線で鬼滅の刃を観るようになるんだな」
ということ。
褒めるにせよ貶すにせよ、争点は「400億円売り上げるだけの価値があるか」というところに置かれてしまうでしょう。
「最高の作品だよね、400億売り上げただけのことはある。」とか
「こんなのが400億売り上げるなんて馬鹿げてる。」とか
実際この作品がどういう作品で、誰はどういうところが好きで、嫌いか、みたいな話は、あっても多分もう表には出てこない。
挙句の果てに
「400億円っていうから観に行ったけどそうでもなかった」
「どうせ400億につられたにわかばっか」
「400億の前から好きだった」
みたいに、400億円という数字があらゆるところで基準や期待値やアンカーとなり続けるんでしょう。
かくいう私も「鬼滅の刃の内容において、400億円売り上げるものがあったか?」みたいなことばっか考えてしまいます。
好きな作品が売れているのは本当に本当に嬉しいこと。でも有無を言わさぬ(ように見える)「数字」という二度と剝がれないフィルターがくっついてしまうのが、その大ヒットの代償にならざるを得ないのでしょうか。
なんて考えるのは、悲観的に過ぎるでしょうか?
それじゃあ、また。